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Colossians

コロサイ2:8~15

Discipleship Journal Reading Planに沿ってデーボションを勧め、思ったこと、感じたことを書いてみた。

'人間の言い伝えにすぎない哲学、つまり、むなしいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい。それは、世を支配する霊に従っており、キリストに従うものではありません。 ' コロサイの信徒への手紙 2:8

神の存在を否定する「科学」にのっとった教育。神は様々な所に宿っていて、気を付けながら生きなければならない文化。神を信じるならば様々なルールを守らなければならないという、人間の努力を中心とした信仰。神のみことばが与えられているにもかかわらず、神を理解するには専門家の話を聞く必要があるという他人だよりの宗教。どれをとっても、「人間の言い伝えにすぎない哲学・・・むなしいだまし事」。

'あなたがたはキリストにおいて、手によらない割礼、つまり肉の体を脱ぎ捨てるキリストの割礼を受け、 洗礼によって、キリストと共に葬られ、また、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられたのです。 ' コロサイの信徒への手紙 2:11-12

ユダヤ人は「神の民」とされていて、それを証明するために割礼を受けた。新約のキリスト者も「神の民」と証明する必要はあるのか?これが「洗礼」だという人がいるが、教会が「救い」を確認し、それを「承認」する行為として洗礼を授けている。割礼のように人に頼る肉体的なプロセスになり下がっている。私たちは「肉の体を脱ぎ捨てるキリストの割礼を受け」た。キリストが私たちを肉の行いに頼ることから解放して下さった。また、洗礼は「キリストと共に葬られ・・・キリストと共に復活させられた」ことを象徴する行為。キリスト者が「神の民」であることを証明する「印」ではないし、教会の判断に頼る行為でもない。「キリストを死者の中から復活させた神の力を信じ」る、この一点に限る。

'肉に割礼を受けず、罪の中にいて死んでいたあなたがたを、神はキリストと共に生かしてくださったのです。神は、わたしたちの一切の罪を赦し、 規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。 そして、もろもろの支配と権威の武装を解除し、キリストの勝利の列に従えて、公然とさらしものになさいました。 ' コロサイの信徒への手紙 2:13-15

「肉に割礼を受けず」にいても、キリストは私たちの罪を赦した。洗礼という「印」を受けなくても「神の民」とされた。「規則によって・・・訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにし」た。もはや律法はキリスト者を拘束する力はなく、キリストによって赦され、生かされた存在となる。「安息日」、「十戒」、「十一献金」、「割礼=洗礼」。どれも神がイスラエルに与えた律法であり、キリスト者には良い「規範」(神が求めたことは理解できる)ではあるが、「規則」(絶対守らないと罰せられるルール)ではない。キリスト者の「規則」はキリストが教えたこと。それを守れない人たちには、キリストと同じように愛をもって接することが求められる。

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