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ヨエル1-2

4 かみ食らういなごの残したものは、群がるいなごがこれを食い、群がるいなごの残したものは、とびいなごがこれを食い、とびいなごの残したものは、滅ぼすいなごがこれを食った。

いなごが食い尽くした結果、酔う者の口から酒が断たれた(5節)。いちじくの木が折られた(7節)。主の家に捧げる穀物が足りないぐらいだった(9節)。なのでヨエルは主に向かって叫ぶことを促している(13節)。この悲惨な状態から、神の裁きと恐ろしい主の日が訪れることを予言していた。

神が世の中の出来事をとおして(いなごや裁きを含めて)神が示そうとしていることは何なのか?それは「あなたがたはイスラエルのうちに/わたしのいることを知り、主なるわたしがあなたがたの神であって、ほかにないことを知る」(2:27)。私たちは神の民として、すべての行いがこれにつながっていることを意識しなければならない。

もし心が神から離れることがあれば、神は私たちを引き戻すために戦って下さる。2:12に「心をつくして」立ち返ることを促している所を見ると、神は私たちの心すべてを求めていることが分かる。日曜日に心の一部、食事前に一部、寝る前に一部、ということではない。私たちが神の内にあるならば、心のすべてが、すべての時に神に向かっていることが求められている。そのために神は戦っている。

なので「衣類ではなく、心を裂く」ように、ヨエルは促している。「目を覚ます」(5節)、「泣き悲しむ」(8節)、「恥じて泣く」(11節)、「断食をし、主に向かって叫ぶ」(14節)。日頃の罪に罪悪感を感じるだけでなく、罪に背を向ける。そして、「恵みがあり、あわれみがあり、怒ることがおそく、いつくしみが豊か」(2:13) な神に立ち返るよう促している。

最後に、神が2:28で約束した聖霊の注ぎのために祈りたい。確かに、ペンテコステでイエスの弟子たちに聖霊が下ったことはヨエルの予言どおりだとペテロは語っていた (使徒2:16)。しかしこれは、これから来る未来の出来事のほんの一部にすぎない。神のことを夢見る年長の人を何人知っているだろうか?神のビジョンを見る若者を何人知っているだろうか?私たちを導くための予言を語るべく、神の声を聞く息子や娘はどこにいるだろうか?モーセに与えられた希望は成就されたのだろうか?「主の民がみな預言者となり、主がその霊を彼らに与えられることは、願わしいことだ」(民数記11:29)

教会は多くの問題を抱えているので聖霊の注ぎは完全に成就されていないと言える。そしてイスラエルは未だにキリストを信じていないので、神の民は完成されていない。教会のさらなる発展のために、そしてイスラエルの救いのために祈っていきたい。

上記の内容はジョン・パイパーが提供する記事を引用している。
https://www.desiringgod.org/messages/the-locust-horde-and-the-day-of-the-lord