霊や言葉によって、あるいは、わたしたちから書き送られたという手紙によって、主の日は既に来てしまったかのように言う者がいても、すぐに動揺して分別を無くしたり、慌てふためいたりしないでほしい。だれがどのような手段を用いても、だまされてはいけません。なぜなら、まず、神に対する反逆が起こり、不法の者、つまり、滅びの子が出現しなければならないからです。 この者は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して、傲慢にふるまい、ついには、神殿に座り込み、自分こそは神であると宣言するのです。 テサロニケの信徒への手紙二 2:2-4 新共同訳
「主の日」はここでは「安息日」の置き換わりだったり、日曜日の礼拝のことを指しているのではなく、イエスの再臨を指している。すでにイエスが再臨している、という考えは「無千年王国説」に近い。この考えでは、イエスが再臨したときに地上で千年間王として治める設を否定し、イエスはすでにこの世を治めていること、また普遍的教会が地上で広まり、神の霊的な国が広まっていくことだと主張する。この根幹には、聖書に書かれている予言の解釈の違いがある。
無千年王国説は、実現していない預言にはある解釈方法を用い、預言ではない聖句や成就した預言には別の解釈方法を用いることから来ています。非預言的な聖句や成就した預言は、文字通り、あるいは直接的に解釈されます。しかし、無千年王国主義者によれば、満たされていない預言は霊的に、つまり文字通りではない方法で解釈されます。無千年王国主義を堅持する人々は、満たされていない預言を「霊的に」読むことが、聖書の通常の読み方であると考えています。これを解釈学では「二重解釈」といいます。(解釈学とは、解釈の原則を研究する学問です) 無千年王国主義者は、未達成の預言のほとんど、あるいはすべてが、象徴的、比喩的、霊的な言葉で書かれていると考えています。したがって、無千年王国主義者は、聖書のそれらの部分に、それらの言葉の通常の、文脈上の意味ではなく、別の意味を割り当てます。
https://www.gotquestions.org/amillennialism.html
予言の解釈には様々なスタンスがあるが、成就していない全てのみことばが「象徴」としてしまうと、聖書を書いた筆者、時代背景、文脈、などを無視することになってしまう。聖書の解釈は一つで、神が筆者に与えた意図も一つ。「象徴」とまとめるのではなく、神が聖書を通して何を伝えたいのかを探求し続ける姿勢が問われる。
不法の者は、サタンの働きによって現れ、あらゆる偽りの奇跡としるしと不思議な業とを行い、 そして、あらゆる不義を用いて、滅びていく人々を欺くのです。彼らが滅びるのは、自分たちの救いとなる真理を愛そうとしなかったからです。 それで、神は彼らに惑わす力を送られ、その人たちは偽りを信じるようになります。 こうして、真理を信じないで不義を喜んでいた者は皆、裁かれるのです。 テサロニケの信徒への手紙二 2:9-12 新共同訳
再臨の前に現れる「不法の者」はいわば、「アンチキリスト」と呼ばれる存在で、キリストのように王として、神としてふるまい、人々を惑わす。その惑わす方法は、「あらゆる偽りの奇跡としるしと不思議な業とを行い」「惑わす力を送られ、その人達は偽りを信じるようになる」「真理を信じないで不義を喜ぶ」。自分の功績を讃え、考えを改めることを忘れてしまった人々が最も惑わされやすい。これに当てはまるかのテストは、これまで積み上げ肯定していることを評価し、万が一にも間違っていたと認めることができるか?常に自分を吟味し、神に向かっているかテストし考えることが、惑わされることから守る一つの手立て。全てを試し、考えることが、「自分たちの救いとなる真理を愛」することにつながる。
最近読んだ記事に、日本人の持つイデオロギーに、考えることを妨げる根幹的な内容が記載されていた(投稿元はプライバシーのため省略)。この内容は政治家だけにとどまらず、教会の中でも大きく影響しており、外国人や異なった考えを持つ人が教会の中で虐げられている実態がある。「アメリカ的な考えだね」や「アメリカ人だから分からない」「アメリカでしかできない」などと意見に蓋をすることが目立つ。教会においてもこのような考えや行動を改める必要がある。
日本の難民認定率は諸外国と比べてけた違いに低いのです。なぜでしょうか。その答えの一つは、万世一系の天皇の国である日本国こそ思想の統治であり、そこにこそ日本人のアイデンティティがあると説くイデオロギーにあるとみています。こうした思想に傾倒する政治家たちから見れば、異なった文化、宗教、習慣のある外国人の数が増えるのは、脅威なのです。
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