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ローマ12:19-20

19 愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。20 むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである」。

ローマ12:19-20

この箇所で教えているのは、「自分で復讐しない」こと。その代わり、「神の怒りに任せなさい」「敵に食わせ、飲ませなさい」と教えている。その理由は、神が「復讐はわたしのすることである。わたし自信が報復する」と言われているから。

集団的なイジメにあって精神的に追い詰められるような大きな問題もあれば、ちょっとしたイヤミを言われて嫌な気持ちになる小さな問題もある。どの問題も無かったことにするのではなく、実際にある問題だが神に明け渡すことが重要。自分で何とかする必要はなく、神に任せることができる。

22 キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。23 ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。

1ペテロ2:22-23

イエスは何をしたのか?ののしりかえさず、おびやかすこともしなかった。その代わり、「正しい裁きをする方に、いっさいを委ねた」。この「いっさいを委ねた」というのは、イエスはご自身の大義名分を父なる神に明け渡したということ。なので私たちの義の精神が相手を傷つけるべきだと思わせてしまうなら、神に明け渡す必要がある。

神は必ずすべての悪に裁きを下す。悔い改めない者に対しては地獄で裁く。悔い改める者に対して、十字架上で裁く。もし自分で裁きを下し、神に委ねていないなら、何を意味するのだろうか?悔い改めない者に対する地獄の裁きは十分でないと主張している。悔い改める者に対して、十字架は十分な犠牲ではなかったと主張している。これはいわば、神がイエス・キリストを捧げたことが不十分だと主張することになる。

上記の内容はジョン・パイパーが提供しているサイトから引用している。
https://www.desiringgod.org/labs/vengeance-is-mine