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Church Malachi Worship

マラキ1:6-14

祭司は神殿の捧げものを軽視し、それによって神の名を軽視していた (8節)。祭司たちは盗んだ動物、病気で歩けない動物などを捧げていた。主はこれをい受け入れない (13節)。しかも「損傷のあるものを主に捧げるような、ずるい者はのろわれる」(14節) とある。軽率な礼拝という呪いを放っておくべきではない。

軽率な礼拝が行われる理由

軽率な礼拝は何故行われるのか?神の偉大さを理解できていないから。

神の「わたしはあなたがたを愛している」という言葉に対して人々は軽率に「どのように、あなたは私たちを愛してくださったのですか」と返した (2節)。それに対して神は暖かい愛で答えるよりも、エサウを憎み、ヤコブを愛したことを示した。それはつまり、エサウよりもヤコブを選ぶことによってご自身を主権を示していることになる。愛よりも主権を重視したメッセージである。

また、神は父としての威厳を示している (6節)。子を愛する父を示すこともできた。しかし、愛することではなく、父を敬うことを訴えている。軽率な礼拝によって神を威厳ある父親として見ていないことが問題視されている。

神が捧げ物を受けない理由は、神の名が崇められなければならないから (10-11節)。傷のあるものを主に捧げる者はのろわれる理由は、神は大いなる王だから (13-14節)。軽率な礼拝が許されないのは、神の偉大さを無視する行為になるから。

この軽率な礼拝が行われる理由は、神に対して怠惰になり (13節)、世の中のことに強い興味を持つようになるから。神の偉大さを理解することができなければ、金銭で手に入れられるモノの方が興味を引いてしまう。まさに、天国に宝を置いていなければ、地上に置いてしまう状態になる。

軽率な礼拝の形

軽率な礼拝はどのような形をとるのか?意味のない宗教的行動と考えられる。もしくは、神を小さくしてしまう宗教的行動とも言える。「あなたがたのうちには、扉を閉じて、わたしの祭壇にいたずらに火ををもせないようにする人が、一人でもいるであろうか」(10節)。

この「いたずらに」という言葉はヘブライ語で「ヒンナム」で、ダビデが2サムエル24:24で使ったことばと同じ。ダビデは神に捧げものをするためにアラウナから土地を献上されたところ、ダビデはその土地の代価を支払うと言い張った。「費用もかけずに(ヒンナム)、私の神、主に全焼のささげ物を捧げたくない。」

神を尊び、神の主権と父としての威厳によって私の魂が満ち足りている。なので、礼拝するとき神よりも金銭を愛するように見せたくない。私は何かを支払い、この世ではなく神が私の宝であることを証明したい。

軽率ではない礼拝

軽率ではない礼拝はどのような形をとるのか?まず礼拝の真の目的を定義する必要がある。

  • 神の価値と偉大さを表すこと
  • 神の価値と美しさの霊的な感覚を会衆の内に維持させること

また別の角度で考えると礼拝は

  • 人の財産や称賛よりも神を宝としている心からくる
  • 神中心の心を会衆に植え付ける

では、優れた礼拝とはどのような形をとるのか?

  • プロ意識を持つことではない。完璧な礼拝式典を求め、完璧な口調で聖書朗読や説教をし、一日欠かさず礼拝に出席することではない。いくら完璧にこなしても、神に向ける熱心な心を育むことはない。
  • 感情任せではない。感情ばかりに任せると思考停止に陥る。感情を動かすテクニックを通して人々を熱狂させることはできる。しかし、神中心の礼拝と聖書全体を通した教えをおろそかにしてしまう。
  • 霊的に満足した状態ではない。神に対する霊的な感情あるかもしれない。しかし、満足しきっているため神中心に向ける熱心さが欠ける。熱心さが欠けると礼拝奉仕におけるほころびが出てくる。また、礼拝体験は個人的なものとされ、会衆の霊的な流れを無視するようになる。「自分が満足に礼拝できていれば良い。」「他の人は自分の立派な礼拝の姿勢を見ていれば学べる。」新来会者の対応や子供への礼拝教育はおろそかになる。
  • 霊的に忠実でいること。神の偉大さを体験し、熱心さをもって神を求める。満足に陥らず、完璧主義にならず、自分の立派さに焦点を当てず、熱心さを会衆と分かち合う。これが軽率でない礼拝につながる。
このブログはジョン・パイパーの提供する記事を引用している。
https://www.desiringgod.org/messages/the-curse-of-careless-worship
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Church Malachi

マラキ 3:7-12

7 あなたがたの先祖の時代から、あなたがたはわたしの掟を離れ、それを守らなかった。わたしに帰れ。そうすれば、わたしもあなたがたに帰る。──万軍の主は言われる──しかし、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちは帰ろうか』と。8 人は、神のものを盗むことができるだろうか。だが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか』と。十分の一と奉納物においてだ。9 あなたがたは、甚だしくのろわれている。あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。この民のすべてが盗んでいる。10 十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしを試してみよ。

十分の一を捧げないのは神のものを盗むこと (8節)。そして十分の一を宝物庫に携えるよう命令している (10節)。しかし、パウロは献金について教会に教える時、十分の一の命令について語らず、逆に喜んで捧げることを強調した。一見矛盾しているようなこの2つの教えは、新約のクリスチャンにどう適用すればよいのだろうか?

確かに、イエスはパリサイ人に「正義と神への愛をおろそかにしている」と指摘した上で「十分の一もおろそかにしてはいけない」とも言っている。しかし、これはイエスの十字架の前の出来事であり、パリサイ人に律法を守るように指示するのは当然のこと。キリストの十字架の後に生まれたクリスチャンにはモーセ律法は適用せず、クリスチャンはキリストの律法のもとで生きるとされている (ローマ6:14–15; 7:5–6; ガラテヤ3:15–4:7; 2コリント3:4–18)。 

パウロも、それぞれが収入に応じて捧げることを教えていた (16:2)。これは十分の一を教えていたかのように思えるが、パウロのポイントはそこではない。パウロは、聖職者をサポートすることを促している (ガラテヤ6:6, 1テモテ5:18, 1コリント9:7)。貧しい人を助けるように促している (使徒 2:43–47; 4:32–37; 11:27–30; ガラテヤ. 2:10; 1コリント16:1–4; 2コリント8:1–9:15)。そして何より、「苦しみによる激しい試練の中であってもあふれ出て、惜しみなく施す」 (2コリント8:2) ことを勧めている。「十分の一を守っている」ことが合格点なのではなく、惜しみなく与えることが目指すべきところ。

これを踏まえて、マラキに記されている戒めに対して2つの対処法が考えられる。

一つ目は、モーセ律法のもとにいないキリスト者として、さらなる聖なる高みを目指すためにマラキの戒めを横に置く。10%捧げたから残りの90%を使ってこの世の欲を求めても良い、と考えるのであれば、その戒め自体を横において、全てを捧げられる心を与えられるよう祈る必要がある。逆に、10%さえも捧げなくても良いと捉え、さらに金銭を愛するようになってしまうのであれば、10%のルールをセットして自制する必要があるかもしれない。

二つ目は、マラキの戒めによる捧げものの制限を横において、捧げられる自由を求める。もし10%を捧げなくても良いこと自体に喜びを得るのであれば、戒めを横に置く正当な理由にはならない。パウロはこの戒めを横においたのは、私たちを金銭の愛から開放するため。また、私たちがさらに自由に捧げることができるため。なので、10%の戒めを守らなくても良いが、私たちはそれだけ多く、自由に捧げることができることを自覚しなければならない。

十分の一であれ、自由に捧げる形であれ、神はそれを祝福すると語っている。十分の一を捧げていない人に対して「ルールを守っていない」と断言したり、一人ひとりの捧げ額を細かく管理し、それを評価する仕組みを取っているわけでもない。神は民に捧げるように訴えている。そして神がどのように祝福するかを試すように訴えている。

10 ──万軍の主は言われる──わたしがあなたがたのために天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうか。11 わたしはあなたがたのために、食い荒らすものを叱って、あなたがたの大地の実りを滅ぼさないようにし、畑のぶどうの木が不作とならないようにする。──万軍の主は言われる──12 すべての国々は、あなたがたを幸せ者と言うようになる。あなたがたが喜びの地となるからだ。──万軍の主は言われる。
このブログの内容はジョン・パイパーが提供している記事と、The Gospel Coalitionが提供している記事を引用している。
https://www.desiringgod.org/messages/you-will-be-a-land-of-delight
https://www.thegospelcoalition.org/article/7-reasons-christians-not-required-to-tithe/
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Church Titus

テトス1:1~9

'神の僕、イエス・キリストの使徒パウロから――わたしが使徒とされたのは、神に選ばれた人々の信仰を助け、彼らを信心に一致する真理の認識に導くためです。 これは永遠の命の希望に基づくもので、偽ることのない神は、永遠の昔にこの命を約束してくださいました。 神は、定められた時に、宣教を通して御言葉を明らかにされました。わたしたちの救い主である神の命令によって、わたしはその宣教をゆだねられたのです。―― ' テトスへの手紙 1:1-3

「神に選ばれた人々」「永遠の昔にこの命を約束してくださった」ここに「神の選び」の証拠が明らかにされている。神はこの世が始まる前からキリスト者を選び、救われることを定めてくださった。最終的に人が神を選ぶのではなく、最初から神が人を選んでいる。それだけキリスト者は特別な存在で、信仰を持つことができた事実に大いに感謝するべき。

「信心に一致する真理の認識に導く」「宣教を通して御言葉を明らかにされました」「宣教をゆだねられ」キリスト者は選ばれたからこそ、それと伝えていく義務がある。「宣教を通して」知ることができて、同じ「宣教」をゆだねられている。キリストを伝えていくことこそが「信仰に一致する真理」。キリスト者だけで仲良く日曜日に礼拝するために救われたのではない。イエスを宣べ伝えるために救われたのである。

'教えに適う信頼すべき言葉をしっかり守る人でなければなりません。そうでないと、健全な教えに従って勧めたり、反対者の主張を論破したりすることもできないでしょう。 ' テトスへの手紙 1:9

ここではパウロは長老についての要件について書いている。そのうちの一つとして、「教えをしっかり守る」ことと、「勧め」「敗退者の主張を論破」しなければならない。「これまで守ってきたことだから」と教えを押し付けることは「勧め」ではないし、教会員を洗脳するのと同じこと。また「伝統」に基づく議論は「論破」にはつながらない。みことばだけが真理を語り、人の考えを変えることができる。1~3節にあるような、聖書に基づく証拠を良く理解し、提示することができなければ長老は勤まらない。

'未熟な者は何事も信じこむ。 熟慮ある人は行く道を見分けようとする・・・ 浅はかな者は無知を嗣業とし 熟慮ある人は知識をその冠とする。 ' 箴言 14:15,18

1テサロニケ5:21にあるように、うのみにせず、聖書をしっかりと確認し、聖霊に理解を求め、考えて結論を出したのちに、その真理の上に立って守ることが「熟慮ある人」。このような行動をする人が長老として務めるのに相応しい。

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Church Timothy

2テモテ2:1~13

そこで、わたしの子よ、あなたはキリスト・イエスにおける恵みによって強くなりなさい。 そして、多くの証人の面前でわたしから聞いたことを、ほかの人々にも教えることのできる忠実な人たちにゆだねなさい。 テモテへの手紙二 2:1‭-‬2 新共同訳

パウロはテモテに、福音を伝える仕事を「教えることのできる忠実な人たちにゆだねる」ように指示している。牧師としてすべて背負い込まず、教会員も責任を担えるようにトレーニングすることを勧めた。大事なポイントは「教えることのできる」「(福音に)忠実な」人たち。このレベルに達していない人は長老(役員)の職につくべきなのか?この箇所の「できる」はギリシャ語で「hikanos=十分に能力がある、価値ある、適している、素質がある」という意味がある。リーダーになる人はただ物事を知識として知っていて、それを説明することのできる人を指しているのではない。教えるのに十分な能力があり、リーダーとしての素質があり、教会のビジョンと方向性を示すのに適している人でなければならない。

長老(役員)の資格は1テモテ3:1~7に記されている。このリストに当てはまらない人は長老(役員)候補のリストにも乗るべきではない。「礼拝に出席している」「献金している」はこのリストに乗っていないのも興味深い。要は、礼拝することと献金することは当たり前で、それ以上の資格が長老(役員)には求められている。ただ人数を満たすための役員会は必要なく、本当に資格のある人を長老(役員)候補として選出し、神の召しを自覚しているか当人と確認し、教会全体で確認することが、福音のために働ける長老(役員)を立てることになる。

次のことばは真実です。「もしだれかが監督の職に就きたいと思うなら、それは立派な働きを求めることである。」
ですから監督は、非難されるところがなく、一人の妻の夫であり、自分を制し、慎み深く、礼儀正しく、よくもてなし、教える能力があり、酒飲みでなく、乱暴でなく、柔和で、争わず、金銭に無欲で、自分の家庭をよく治め、十分な威厳をもって子どもを従わせている人でなければなりません。自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会を世話することができるでしょうか。また、信者になったばかりの人であってはいけません。高慢になって、悪魔と同じさばきを受けることにならないようにするためです。また、教会の外の人々にも評判の良い人でなければなりません。嘲られて、悪魔の罠に陥らないようにするためです。

テモテへの手紙第一 3章 1〜7節
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Sabbath on Sunday?

Old Testament Sabbath Command

Remember the sabbath day, to keep it holy. Six days you shall labor, and do all your work; but the seventh day is a sabbath to the Lord God; in it you shall not do any work, you, or your son, or your daughter, your manservant, or your maidservant, or your cattle, or the sojourner who is within your gates; for in six days the Lord made heaven and earth, the sea, and all that is in them, and rested the seventh day; therefore the Lord blessed the sabbath day and hallowed it.

Exodus 20:8-11

God’s Rest After Creation

And on the seventh day God finished his work which he had done, and he rested on the seventh day from all his work which he had done. So God blessed the seventh day and hallowed it, because on it God rested from all his work which he had done in creation.

Genesis 2:2-3

God as the Source of Salvation

You shall remember that you were a servant in the land of Egypt, and the Lord your God brought you out thence with a mighty hand and an outstreched arm; therefore the Lord your God commanded you to keep the sabbath day.

Deuteronomy 5:15

Sabbath as a Sign

And the Lord said to Moses, “Say to the people of Israel, You shall keep my sabbaths, for this is a sign between me and you throughout your generations, that you may know that I, the Lord, sanctify you.”

Exodus 31:12-13

Delight in the Lord on Sabbath

If you turn back your foot from the sabbath, from doing your pleasure on my holy day, and call the sabbath a delight and the holy day of the Lord honorable; if you honor it, not going your own ways, or seeking your own pleasure, or talking idly; then you shall take delight in the Lord, and I will make you ride upon the heights of the earth.

Isaiah 58:13-14

Jesus’ View of the Sabbath

At that time Jesus went through the grain fields on the sabbath; his disciples were hungry, and they began to pluck ears of grain and to eat. But when the Pharisees saw it, they said to him, “Look, your disciples are doing what is not lawful to do on the sabbath.” He said to them, “Have you not read what David did, when he was hungry and those who were with him: how he entered the house of God and ate the bread of the Presence, which it was not lawful for him to eat nor for those who were with him, but only for the priests? Or have you not read in the law how on the sabbath the priests in the temple profane the sabbath, and are guiltless? I tell you, something greater than the temple is here. And if you had known what this means, ‘I desire mercy and not sacrifice,’ you would not have condemned the guiltless. For the Son of man is lord of the sabbath.”

Matthew 12

The sabbath was made for man, not man for the sabbath

Mark 2:27

The Practice of the Early Church

On the first day of the week, when we were gathered together to break bread, Paul talked with them, intending to depart on the morrow; and he prolonged his speech until midnight.

Acts 20:7

On the first day of every week, each of you is to put something aside and store it up, as he may prosper, so that contributions need not be made when I come.

1 Corinthians 16:2

Resurrection and Sabbath

  • Lord of the Sabbath rose from the dead on the first day of the week (John 20:1)
  • First creation was finished on the seventh day of the week
  • New creation in Christ (2 Corinthians 5:17, Galatians 6:15, Ephesians 2:10) was finished on the first day of the week.

Therefore, if anyone is in Christ, the new creation has come:[a] The old has gone, the new is here!

2 Corinthians 5:17

Neither circumcision nor uncircumcision means anything; what counts is the new creation.

Galatians 6:15

For we are God’s handiwork, created in Christ Jesus to do good works, which God prepared in advance for us to do.

Ephesians 2:10

Sabbath on Saturday?

  • Seventh-day Adventists worship on Saturday but have other beliefs are not in line with Reformed doctrine (eg. Humans not possessing immortal soul; permanent destruction rather than torment in hell; controversy between Jesus and Satan; emphasis on the remnant who keep Old Testament commandments).
  • Some Baptist churches have added Saturday evening services for various reasons, mainly to attract a group of people who cannot or do not come to worship on Sunday morning, but might be able or willing to come on Saturday evening (eg. work schedules, travel schedules, health problems, afraid of stereotyped Sunday morning church).
  • Ignatius wrote in the early 100’s A.D., describing Christians with a Jewish background as those who “have come to the possession of a new hope, no longer observing the Sabbath, but living in observance of the Lord’s Day, on which also our life has sprung up again by Him and by His death” (Magnesians 9 )

One man judges one day above another, while another man judges all days alike. Let every one be fully convinced in his own mind.

Romans 14:5

16 Therefore do not let anyone judge you by what you eat or drink, or with regard to a religious festival, a New Moon celebration or a Sabbath day. 17 These are a shadow of the things that were to come; the reality, however, is found in Christ.

Colossians 2:16-17

But now that you know God—or rather are known by God—how is it that you are turning back to those weak and miserable forces[a]? Do you wish to be enslaved by them all over again? 10 You are observing special days and months and seasons and years!

Galatians 4:9-10

Final Sabbath Rest

So then, there remains a Sabbath rest for the people of God, 10 for whoever has entered God’s rest has also rested from his works as God did from his. Let us therefore strive to enter that rest.

Hebrews 4:9-11

I was in the Spirit on the Lord’s day.

Revelation 1:10

  • The Lord’s Day = τῇ κυριακῇ ἡμέρᾳ, “ta kuriaka hamera”
  • Formal designation of the church’s worship day.