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1ペテロ3:8-12

Discipleship Journal Reading Planに沿ってデーボションを勧め、思ったこと、感じたことを書いてみた

8 最後に言う。あなたがたは皆、心をひとつにし、同情し合い、兄弟愛をもち、あわれみ深くあり、謙虚でありなさい。

「あなたがた」教会に対して語っている。

「心をひとつにし」これは単に神学や教理の一致だけにとどまらない。教会としての方向性や目的に対して心をひとつにし、一致しなければならない。これが起きるにはオープンに話し合い、お互いの意見を尊重し、中間点を互いに見つける必要がある。一部の人たち(リーダーなど)が勝手にこれを決めて、それを教会員に押し付けても本当の一致は起きない。ましてや、考えの違う人を排除しているということは「一致」を促しているのではなく、「同調圧力」をかけ従わせるようにしているだけ。結果的に教会員は「無関心」に陥ることになる。これは真に「心をひとつにする」ことには繋がらない。

「同情し合い」相手を思いやることが含まれる。これは単に相手を「可哀そう」思うのではなく、「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く」(ローマ12:15) ことが含まれる。教会の中で虐げられている人がいたら、教会のリーダーに不都合な情報を隠ぺいして「痛みを覚える」で忘れ去るのではなく、しっかりと原因分析をし改善を図る。権威や評判を守る姿勢ではなく、相手の立場に立って物事を考えようとする姿勢が、教会に求められている。

「兄弟愛」ユダヤ人でも異邦人でも、日本人でも外国人でも、私たちは神に救われた罪人。私たちはイエスによって「兄弟」とされ、父なる神の子供とされた。だから互いを愛することができるし、違いがあっても認め合うことができる。愛する家族だったら、伝統に合わないから排除しようとしない。相手がどう思っているか理解する努力をし、自分の考えを少し横に置く必要があっても相手を尊重する。権限やルールよりも愛を優先する。

「憐れみ深く」=「情深く」「心を柔らかく」とも訳せる。これは「同情」することではなく、相手に関心を持つこと。たとえ相手が強い言葉を使ってきても怒ることはせず、強く心を持ち、自分のことばをこらえて受け入れる。そしてキリストが私たちを赦したように相手も許す。相手の気持ちを受け取ることも教会として学ぶべきこと。

「謙虚」行動だけでなく、考えも謙虚でなければならない。もしかして自分の考えが間違ってるかも知れない。もしかしてこの人が言うことは自分の考えを正しい方向に導けるかも知れない。もしかしてこの人の考えによって教会がより聖書における「純潔」を保ち、人々が心から「一致」し、強制されない「平和」が起こされるかもしれない。

上記の内容はEllicott’s Commentary for English Readersを引用している。

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