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1ペテロ2:1-8

Discipleship Journal Reading Planに沿ってデーボションを勧め、思ったこと、感じたことを書いてみた

4 主は、人には捨てられたが、神にとっては選ばれた尊い生ける石である。5 この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを、ささげなさい。

キリストは私達の罪のために十字架にかかり、死に、葬られた。しかし三日後に死からよみがえり、永遠に生きる教会の礎となった。「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。人はみな神に生きるものだからである」(ルカ20:38)。私達も「生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司」となった。私達は律法を守れない状況なので死しかなかったが、キリストが律法を成就してくださったので私達は生きる者となった。律法はキリスト者として生きるためのガイドだが、それを守らなければ罰を受けるわけではない。キリストによって、キリストを信じる者たちと結び合わされ、家族の一員とされた。ある教会のリーダーに認められたから家族の一員になるのではなく、キリストが成したことと、キリストに従う信仰によって家族の一員となる。クリスチャンとして私達はみな「祭司」であり、祈りを通して直接神と対話し、聖書を読んで直接神のみことばを知ることができ、それを伝える使命が与えられている。教会の一部の人間、その役割を担う人たちだけにこれが与えられているわけではない。

6 聖書にこう書いてある、/「見よ、わたしはシオンに、/選ばれた尊い石、隅のかしら石を置く。それにより頼む者は、/決して、失望に終ることがない」。

イエスはかしら石。律法でなく、人間のリーダーでなく、イエスにより頼む者は、「決して失望に終わることがない。」イエスは聖書を通して何を教えているか?どのような例を残してくれているのか?どのような使命を私達に与えているのか?それに焦点を当てて人生設計をすると、失望に終わることはない。かならず満たされた人生になるし、生き方を通して神の栄光を表す喜びを体験することができる。

7 この石は、より頼んでいるあなたがたには尊いものであるが、不信仰な人々には「家造りらの捨てた石で、隅のかしら石となったもの」、8 また「つまずきの石、妨げの岩」である。しかし、彼らがつまずくのは、御言に従わないからであって、彼らは、実は、そうなるように定められていたのである。

逆に不信仰な人にとっては、すでに捨てたはずの石がかしら石とされたので、悔しい思いをする。律法を守るだけで十分。礼拝をしていれば十分。形の整った教会形成ができていれば十分。それが正解だと思って守ってきたが、聖書を読めばイエスの教えと一致しないことがわかる。むしろ、このような考えはイエスの根本的な教えと行動の意図を否定することになる。残念ながらリーダーがイエスに従わず、それを聖書から正す人がいなければ、教会全体がイエスに従わない方向に傾く。彼らにとってイエスが「つまづきの石、妨げの岩」となってしまう。こうならないためにも日々聖書を読むことと、イエスに従う生き方をベースに、教会を建て上げることが重要。

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