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1ペテロ2:9-25

Discipleship Journal Reading Planに沿ってデーボションを勧め、思ったこと、感じたことを書いてみた

22 キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。

キリストは神であり、人である。(Hypostatic Union) 人として地上にいながら罪を犯すことはしなかった。また彼の口には偽り(=欺瞞、狡猾、裏切り)がなかった。世界の救世主としての期待を裏切らなかった。 ずるがしこく十字架にかかることを逃れなかった。私達の罪のために、たしかに十字架にかかり、死んで蘇った。

23 ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。

ここがイエスのすごいところ。私達は、ののしられたら、ののしり返したくなる。やられたら、やり返したくなる。苦しめられたら、戦いたくなる。しかし、イエスはこのようなことをせず、「正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねた。」私達の罪の裁きを十字架で背負った。そして、ののしりや苦しみを与えた人々に対して「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」と祈った。ののしる人を憐れみ、赦しを願う姿勢。神の正しい裁きに委ねる姿勢。イエスの行動を真似するのはものすごく難しいが、クリスチャンと呼ばれるならイエスのようになるべき。

24 さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。25 あなたがたは、羊のようにさ迷っていたが、今は、たましいの牧者であり監督であるかたのもとに、たち帰ったのである。

私達はいやされた。義に生きるようにされた。もうさまよわないように、イエスという牧者を与えられた。なので私達は救われたところに立ち止まるのではなく、初歩的な学びに満足するのではなく、礼拝だけに留まるのではなく、リードして下さる牧者がいるので先に進みたい。

1 そういうわけだから、わたしたちは、キリストの教の初歩をあとにして、完成を目ざして進もうではないか。今さら、死んだ行いの悔改めと神への信仰、2 洗いごとについての教と按手、死人の復活と永遠のさばき、などの基本の教をくりかえし学ぶことをやめようではないか。3 神の許しを得て、そうすることにしよう。

ヘブル6

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