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ヘブル4:12~16

Discipleship Journal Reading Planに沿ってデーボションを勧め、思ったこと、感じたことを書いてみた

'というのは、神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです。 更に、神の御前では隠れた被造物は一つもなく、すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです。この神に対して、わたしたちは自分のことを申し述べねばなりません。 ' ヘブライ人への手紙 4:12-13

ここまで語られて来たイエスの権威と永遠の安息と、「神の言葉」(聖書)はどのような関係があるのだろうか?

一つは、イエスが「ことば」であることが思い浮かぶ (ヨハネ1)。イエスはこの世が始まる前から存在していた神で、この世を「ことば」によって創造した。創造する力をも持つ「ことば」には大きな権威があり、聞き従うことが当然のことである。権威ある、創造の力をもつこの「ことば」は、私たちの外面と内面を刺し通して影響し、私たちを変えていく。

2つ目は、11節に「安息にあずかるように努力」することが促されている。これは日曜日に教会に行くことではなく、神に絶対の信頼を寄せ、神により頼む人生を送ることによって、天地創造の7日目に神が表したあるべき姿の安息を指している。この「安息にあずかる」にはどうすれば良いのか?単に日曜日に説教を聞いて、水曜日に祈祷会に参加するだけではたどり着くことはできない。生きている神の言葉、聖書を読み、思いを巡らすことが必要。そうすることによって「精神と霊、関節と骨髄」という内面と外面の変化を起こし、全体が神により頼むようになっていく。

'この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。 だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。' ヘブライ人への手紙 4:15-16

しかし私たちは弱い。罪を犯してしまう。この世に望みをおいてしまう。イエスはこの誘惑を理解している。イエスは憐れみと恵みを授けてくださり、私たちが自信をもって神に近づくことができるようにして下さった。私たちも、特に教会のリーダーは、罪に陥った人に対してキリストに習い、憐れみと恵みを示す必要がある。ルールに照らして罰則を与るのではなく、寄り添って理解を示すことがキリストが行動を持って示したこと。

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