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ヘブル4:1~11

Discipleship Journal Reading Planに沿ってデーボションを勧め、思ったこと、感じたことを書いてみた

'もっとも、神の業は天地創造の時以来、既に出来上がっていたのです。なぜなら、ある個所で七日目のことについて、「神は七日目にすべての業を終えて休まれた」と言われているからです。 そして、この個所でも改めて、「彼らを決してわたしの安息にあずからせはしない」と言われています。 ' ヘブライ人への手紙 4:3-5

4章は3章から続いて、天の御国がクリスチャンにとって永遠の「安息」であることを語っている。信仰をもった人たちのみが「安息」を得ることができ、そうでない人は「安息」を得ることができないと神は宣言している (3節)。この背景の中で、何故「天地創造」の話をしているのか?神が6日働いた後7日目に休まれたことと、永遠の安息とどのような関係があるのか?

ヘブルで語られている事実を整理すると分かりやすくなる。

1. 神の民であるイスラエルは、カナンの地で安息が約束されていました。しかし、彼らは不信仰のためにそれを果たせませんでした。

2. 筆者の目的は、それよりずっと後に神の民になされた同様の約束があり、その約束には「全て」の神の民が招かれていたことを証明することでした。

3. その安息とは、約束の地のものではなく、創造の仕事を終えたときに「神がご自身で持たれた」ものでした。それは特に「神の安息」であり、労苦や倦怠のない、神のすべての「仕事」が終わった後の休息であった。

4. 神の民は、同じ「安息」、すなわち神の休息に招かれ、神の幸福にあずかり、創造の仕事を終えたときに「神」が楽しんだその至福に入るのです。聖徒の幸福はそうあるように意図されていたのです。労苦からの休息であり、彼らがしなければならないすべてのことが終わったときに享受されるものでした。

https://biblehub.com/commentaries/barnes/hebrews/4.htm
'そこで、この安息にあずかるはずの人々がまだ残っていることになり、また、先に福音を告げ知らされた人々が、不従順のためにあずからなかったのですから、 再び、神はある日を「今日」と決めて、かなりの時がたった後、既に引用したとおり、 「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、 心をかたくなにしてはならない」 とダビデを通して語られたのです。 ' ヘブライ人への手紙 4:6-7

イスラエルが安息の地に入れなかったのは神の声を聞かなかったから。クリスチャンであれば神の声に聞き従い、神の安息に入ることを求めるべき。その安息は単に「仕事から休む」とか「日曜日に教会に行く」ではない。神が天地創造を終えた時に完成された被造物を見て楽しんだように、神が私たちの生活の中で成して下さることを振り返り感謝し、神ご自身の臨在を楽しむことが本当の「安息」。それを永遠に経験できるのが天の御国で、心を神に明け渡して信仰によって聞き従う者が得られる喜びである。

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