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Hebrews

ヘブル3

Discipleship Journal Reading Planに沿ってデーボションを勧め、思ったこと、感じたことを書いてみた

'どんな家でもだれかが造るわけです。万物を造られたのは神なのです。 さて、モーセは将来語られるはずのことを証しするために、仕える者として神の家全体の中で忠実でしたが、 キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし確信と希望に満ちた誇りとを持ち続けるならば、わたしたちこそ神の家なのです。 ' ヘブライ人への手紙 3:4-6

イエスはモーセより栄光を受けるにふさわしい。イエスは神の子なので、普通に考えたら当たり前だが、これは大きな意味がある。モーセは神の律法を守り、神の民を約束の地に導く使命が与えられていた。モーセは「仕える者として神の家全体の中で忠実でした」。一人の人間として忠実だったのは評価されているが、それだけにとどまる。モーセの言動や行いは結局人のすることで、それに従うとなると問題がないか吟味してから従わなければならない。しかし、イエスは「御子として神の家を忠実の治める」方。神に忠実に仕える人ではなく、イエスご自身が神であることを示している。神であるイエスが教えたことは直接受け入れられるし、安心して従うことができる。人の教えに頼らず、神であるイエスの教えに頼りたい。

' 「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、 神に反抗したときのように、 心をかたくなにしてはならない。」 いったいだれに対して、御自分の安息にあずからせはしないと、誓われたのか。従わなかった者に対してではなかったか。 このようにして、彼らが安息にあずかることができなかったのは、不信仰のせいであったことがわたしたちに分かるのです。' ヘブライ人への手紙 3:15,18-19

ここの「安息にあずかる」というのはイスラエルが約束の地にたどり着くことを指しているが、新約においては「永遠の安息」である天の御国を指している。つまり、イエスの教えに従わない者、または従い続けない者はクリスチャン(=キリストに従う者)とは言えず、約束の地にたどり着くことはできない。人が作ったルールや教えに惑わされず、伝統にしがみついて心をかたくなにせず、イエスの声に耳と心を傾けて、従うことを心がけたい。そして、「罪に惑わされてかたくなにならないように、『今日』という日のうちに、日々励まし合う」(3:13) ことを続けていきたい。

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