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1テモテ3:11~16

Discipleship Journal Reading Planに沿ってデーボションを勧め、思ったこと、感じたことを書いてみた。

行くのが遅れる場合、神の家でどのように生活すべきかを知ってもらいたいのです。神の家とは、真理の柱であり土台である生ける神の教会です。 テモテへの手紙一 3:15 新共同訳

旧約聖書では、神は神殿に宿っていた。人々は神を礼拝するのに神殿に行く必要があった。しかし、新約では神は教会に宿っている。教会は一つの場所に建てられている建物ではない。「教会」とは「ekklesia」、「呼び出された者」。つまり、この世から呼び出されて神のもとに集められた人たち。教会は「建物」ではなく「人」。その人たちの内に神は宿っている。これを理解できれば自然と優先度が分かる。「契約」や「ルール」ではなく人が必要なことを考える。「建物」や「実務」ではなく、人の心に寄り添った働きが重要。

教会は「真理の柱であり土台」であるべき。福音を伝えることが真理だが、それを教会として行わない上に信徒が福音を伝えようとすることを阻害するのであれば、その教会はもはや真理に立っていない。神のみことばである聖書を学び、それを適用するのが真理だが、教会として「すでに学び終わっている」のを理由に人が書いた本に注力して聖書をひらかなくなると、その教会は真理に立っていない。真理に立っていないなら「教会」と呼べないとも、この箇所から捉えられる。

教会が真理の柱であり土台であることをやめたとき、私たちはその教会を捨てることができ、またそうすべきである。私たちの最大で第一の関心は、真理に対するものであるべき。

Matthew Henry’s Concise Commentary

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