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Thessalonians

2テサロニケ3:14~18

Discipleship Journal Reading Planに沿ってデーボションを勧め、思ったこと、感じたことを書いてみた。

もし、この手紙でわたしたちの言うことに従わない者がいれば、その者には特に気をつけて、かかわりを持たないようにしなさい。そうすれば、彼は恥じ入るでしょう。 しかし、その人を敵とは見なさず、兄弟として警告しなさい。テサロニケの信徒への手紙二 3:14‭-‬15 新共同訳

「従わない者」はどんな人を指しているのか?分脈からは11節の「怠惰な歩みをしている人たち、何も仕事をせずにおせっかいばかり焼いている人たち」が濃厚。働かないで教会の施しばかりを受ける人。それだけでなく、おせっかいを焼いて教会員をかき回す。自分たちが上の立場だと勘違いし、他人の間違いを指摘する「警察官」になり下がる。

この箇所は戒規のことを書いているのか?「従わない者」は「怠惰な歩みをしている人たち」であることから、必ずしも信仰に背を向けている人とは限らない。戒規が必要な場合は背信行為であり、戒規を執行するにはそれなりのプロセスがある。そのプロセスもここでは触れていないし、「かかわりを持たない」としている事から戒規の意図と違う。

では、このような人たちと本当にかかわりを持たないようにするべきなのか?「関わりを持たない」は他の聖書箇所(1コリ5:9、1コリ5:11)では罪に浸かっている人の事を指している。そのような人と同じ行動を取らない、そのような人に影響されない、逆の行動に出るべきだと考えられる。つまり、教会の施しや地位にすがり、他人の指摘しまわるのではなく、自分の状況を理解し、自分から神にすがり、神に与えられた恵みを他人に振舞うことが、「関わりを持たない」ことにつながる。

そうすることによって、この怠惰な人は「あるべき姿」を見ることができ、自分の愚かさに気づく。「恥じ入る」ことによって、怠惰な生活に背を向け、キリストに「従う者」になる。また、「警告」する方法も、「戒規」というプロセスを突きつけるのはそもそも状況に見合わない。「敵ではなく兄弟」として、まず自分がどのように生きるべきか例を示し、その証から兄弟を正しい方向に導く。指摘し、何かしらの罰を与えるのではなく、正しい方向を示すことが、キリストが教えた「弟子づくり」に誓い形。

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