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Nahum

ナホム

ナホムは、北の王国イスラエルがアッシリアに722 BCに滅ぼされた後に書かれた。アッシリアは多くの国を占領して領土を広げていったが、ナホムはこのアッシリアの首都だったニネベが滅ぼされることについて予言している。

1章の冒頭ではまず神の聖なる威厳について書かれている。この事実は全ての罪人に悔い改めを促し、全ての聖徒に喜びを与える。

  • (1:2) 神の義は絶対である。神の義は全ての人に公平に適用される。神の性質がそうさせるのと、神の敵は義による裁きを受けることになる。
  • (1:3-8) 神の力は否定できない。3節によると神は力強い者。神の力は無限で、神は全能である。
  • (1:7) 神の善は計り知れない。神は裁きにおいて力強いだけでなく、恵みでも力強い。神は善であり、常に赦す準備ができている (詩篇86:5)。

1:12-13で、ナホムはユダの救いについて書いている。アッシリアは平和と富を手に入れたように見えたが、全てが変わろうとしていた。アッシリアは強い敵で無敵のようだったが、神の前には無力である。神はユダをアッシリアの支配から自由にし、アッシリアは二度と神の民を脅かすことはない。

アッシリアはイスラエルに対する裁きとして神に遣わされたが、今度はアッシリアが裁きを受ける側になった。

  • (2:9–10) 略奪する者が略奪される側になった。アッシリアは多くの富を獲得し、イスラエルを含む支配した国々から貢ぎ物を受けていた。しかし、この多くの富は侵略者の手に渡ってしまう。
  • (2:11-12) 捕食者が捕食される側になった。ニネベはライオンの巣のように例えられている。メスライオンとその子供は十分すぎる食料を与えられているようだ。
  • (2:13) 攻撃する者が攻撃される側になった。アッシリアは神が攻撃するための「憤りの杖」とされていた (イザヤ10:4-6)。しかし、イスラエルが裁かれた今、アッシリアは神の怒りを受ける側になった。

3章では、ニネベの滅亡は、神と人類に対する極悪非道な罪と犯罪のために正当化されている。アッシリアはそれまで支配していた国々から軽蔑され、笑いものにされる結果となる。彼らの滅亡は、彼らが受けるべき正当な報いであった。神から罪の裁きを受けることほど怖いことはない。

  • (3:1) アッシリアは、他国に対する残虐な行為によって滅ぼされた。彼らは人間の尊厳に無関心で、私利私欲だけを求めていた。
  • (3:4) アッシリアは淫乱と妖術の罪を犯していた。これらは悪の典型として頻繁に聖書に記されている。さらに、この罪が発展して人身売買にも手を出し、私利私欲を果たしていた。

ナホムは最後に、ニネベを誹謗する形で彼らが裁きを逃れることができないことを現している。ニネベは自分たちを守るすべはない。酔っぱらいが安全な場所を求めて隠れるようだ (3:11-14)。いなごのように数が増えても、敵が現れたら逃げてしまう (3:15-19)。アッシリアは必ず滅亡し、復興することはない。そしてアッシリアの滅亡のニュースが広まるにつれ、彼らの悪事を知る人々は拍手する。アッシリアが勢力を広めるにつれ国々は恐れを抱いたが、アッシリアの滅亡は喜びをもたらす。

面白いことに、ナホムはヨナのように質問で予言を締めくくる。ヨナ書では、神はヨナに対して何故悔い改める人を赦せないのかを問いている。ナホム書では、神が何故悔い改めない人を裁かないのかを問いている。ヨナのメッセージは、神は悔い改めと信仰を持つものを必ず受け入れるということ。ナホムのメッセージは、神は義によって悔い改めない者を必ず裁くこと。どちらの予言者も真実を語る。神の義によって裁かれるより、神の恵みと慈悲深さを体験する方が望ましい。

上記はThe Gospel Coalitionが提供している参考書を引用している。
https://www.thegospelcoalition.org/commentary/nahum/

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