10 しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。11 このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、12 極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。
この世はいずれ焼かれてなくなってしまう。終わりの日に神は今の天地をなくし、新たな天地を創造される。この日に残されるものは立派な建物や伝統や組織ではない。「きよく信心深い行い」だけが残される。私たちは永遠を中心においた生き方をしなければならない。神の見方で物事をみなければならない。そして、燃やされるものではなく、残されるものに身を投じる必要がある。
12節の別の訳では、「神の日が来るのを待ち望み、到来を早めなければなりません」とある。「到来を早める」にはどうすれば良いのか?9節によると、神は「すべての人が悔い改めに進む」ことを忍耐しているため来臨を遅らせている、と書かれている。つまり、福音が述べ伝えられ、悔い改めに進み、「きよく信心深い行い」をする人が増えることが、来臨を早めることにつながる。
13 しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。14 愛する者たちよ。それだから、この日を待っているあなたがたは、しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励みなさい。
主の日によって焼かれていくものにではなく、「新しい天と新しい地」を得られることに注力することが進められている。そして「新しい天と新しい地」を得られるのだから、私たちは「しみもなくぎずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励む」ことが進められている。どのように励めば良いのか?1ヨハネ1:7にヒントが書かれている。「もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。」イエスの血がすべての罪をきよめて下さるから、私たちはシミも傷もない。光の中を歩んで互いに交わりを持つことによって「安らかな心」をもつことができる。