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聖書の物語に意味を見出すには?

聖書は様々な形で私たちに神からのメッセージを伝えているが、文体によってはメッセージを見出すのが難しい場合がある。その一つは聖書に多く含まれいる物語だ。では、どのようにして聖書の物語に意味を見出すことができるだろうか?

重要なのは、筆者の意図を探ること。筆者はどのような背景で、どのような状態で、誰に対して何を伝えていて、何故それを伝えていたのだろうか。それを探らず呼んでしまうと、神のメッセージを見出すのが難しくなってしまう。イエスもパリサイ人に対して、彼らは聖書の読み方を理解していないと指摘した。「読んだことがないのか」と何度も指摘している (マタイ12:4, 19:4, 22:31)。

また、筆者の意図を知るためのヒントを与えているので、それを探ることも助けになる。物語に含まれるヒントは、繰り返される言葉、物事が起きる順番、対話の内容、特定の事象の影響、筆者による解釈の挿入、などがある。

創世記37~50の例

創世記37~50を例として取り上げる。

この章の主な意図は次の箇所に記されている。

7 神は、あなたがたのすえを地に残すため、また大いなる救をもってあなたがたの命を助けるために、わたしをあなたがたよりさきにつかわされたのです。8 それゆえわたしをここにつかわしたのはあなたがたではなく、神です。神はわたしをパロの父とし、その全家の主とし、またエジプト全国のつかさとされました。

創世記45:7-8

20 あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせて、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました。

創世記50:20

つまり、主な意図は、神の民の罪深さや神の民に対する人間の罪深さは、神の救いの計画を妨げないばかりか、神の救いの計画を前進させるということ。

ヒント1

この意図につながるヒントは少なくとも2つ提供されている。一つのヒントは次の箇所に記されている。

3 その主人は主が彼とともにおられることと、主が彼の手のすることをすべて栄えさせられるのを見た。

創世記39:3

21 主はヨセフと共におられて彼にいつくしみを垂れ、獄屋番の恵みをうけさせられた。

創世記39:21

ヨセフの状況はどんどん悪化していくが、この中に物語のヒントが含まれている。状況が悪くなったのはヨセフの罪のせいではない。彼がこの悪い状況を作り出しているのではない。神に見放されたのではない。全ては神の隠れた目的のために起こされた出来事である。

ヒント2

次のヒントは創世記38に記されているが、この話がヨセフの物語の真ん中に挟まれているのは不思議に感じる。この章ではヨセフの兄であるユダが、売春婦と勘違いして義理の娘を妊娠させた話が記されている。何故この話がヨセフの物語に挿入されているのか?モーセは何の意図をもってこのヒントを与えたのだろうか?

一つ考えられることは、ヨセフの義をより鮮明にするために挿入されていること。ヨセフは主人であるパテパルの妻に言い寄られたときに断り続けた。「どうしてわたしはこの大きな悪をおこなって、神に罪を犯すことができましょう」(創世記39:9)。

ユダの罪深い不貞行為と、ヨセフの義なる行動は明らかに対照的で、モーセはこの39章を挿入することによってヨセフが神に認められていることをはっきりとさせている。

上記の内容はジョン・パイパーが提供しているAsk Pastor Johnシリーズを引用している。
https://www.desiringgod.org/interviews/how-do-you-find-meaning-in-the-bibles-narratives

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