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1ペテロ1:10-25

Discipleship Journal Reading Planに沿ってデーボションを勧め、思ったこと、感じたことを書いてみた

13 それだから、心の腰に帯を締め、身を慎み、イエス・キリストの現れる時に与えられる恵みを、いささかも疑わずに待ち望んでいなさい。14 従順な子供として、無知であった時代の欲情に従わず、15 むしろ、あなたがたを召して下さった聖なるかたにならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。

救いを疑わずに待ち望むためには、心の腰に帯を締め、身を慎む必要がある。別の訳では「警戒心と冷静さを持った心」とある。警戒しなければいけない理由は、偽預言者が羊の革をかぶっているから (マタイ7:15)。それを見分けるには彼らの実を見ればわかる。どのような家庭環境なのか、どのような子どもが育っているか、どのような人たちが教会に集っているか。また、聖書にかかれていることを理解し、冷静に判断することによって、間違った教えと大衆に流されないようにできる。

18 あなたがたのよく知っているとおり、あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは、銀や金のような朽ちる物によったのではなく、19 きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである。

イスラエルが先祖から受け継いできた生き方は「空疎」とされている。ユダヤ人の律法学者は聖書(torah)を読み込み適用を目的に新たなルールを見出し、それをtalmudにまとめてきた。それを礼拝の式典や人々の生活に強いるようになった。キリスト教も同じ傾向にある。元々キリストの内に喜び、互いを励ます交わりのような集まりだったのが、年月を重ねるうちに式典に重きをおくようになった。互いを愛し支えることが目的だった教会が、いつの間にか教会規則を会員に強いるようになり、守らない人は追い出すような形になった。「先祖伝来の空疎な生活」はユダヤ人に限らず、クリスチャンも陥ることがある。伝統でなく、聖書から真理を理解し、それにしがみつきたい (1テサロニケ5:21)。

22 あなたがたは、真理に従うことによって、たましいをきよめ、偽りのない兄弟愛をいだくに至ったのであるから、互に心から熱く愛し合いなさい。23 あなたがたが新たに生れたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変ることのない生ける御言によったのである。24 「人はみな草のごとく、/その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ、/花は散る。25 しかし、主の言葉は、とこしえに残る」。これが、あなたがたに宣べ伝えられた御言葉である。

真理に従うことは、互いに心から熱く愛し合うこと。互いを裁くことでも、上から治めることでも、疑わず上に従うことでもない。愛するから真理に従うよう訴える。愛するから朽ちる種・枯れる草・散る花である人が作った伝統から立ち返るように説得する。「主の言葉は、とこしえに残る」人の作ったものより、残るものである神のみことばを学び蓄えたい。

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