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ヤコブ5:13-20

Discipleship Journal Reading Planに沿ってデーボションを勧め、思ったこと、感じたことを書いてみた

13 あなたがたの中に、苦しんでいる者があるか。その人は、祈るがよい。喜んでいる者があるか。その人は、さんびするがよい。14 あなたがたの中に、病んでいる者があるか。その人は、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい。15 信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。16 だから、互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために祈りなさい。義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。

「あなたがたの中に」というのは教会=クリスチャンの集まりの中で、と考える。

「苦しんでいる者」に対して、祈るように促している。「神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。」(詩篇46:1) どんなに辛い状況であっても、「兄弟よりも頼もしい友」(箴言18:24)がいて、私たちはいつでも祈りを通して神に頼ることができる。そして神に頼る姿勢が他の教会員の励みになる。

「喜んでいる者」に対して賛美するように促している。自分が良い状態であることにおごらず、神から与えられた賜物に感謝し、賛美を捧げる。自分の力で得たと考えていたら賛美にならない。神に与えられた、という前提で生きているなら必ず感謝の賛美を捧げるようになる。

「病んでいる者」に対して「教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらう」。長老の一つの役割は教会員の病のために祈ること。それは、祈られている人がわからない、隠れた場所で祈るのではなく、オリブ油を注ぐことができるほど密な場所で、その人のために祈ること。教会員を治める姿勢ではなく、教会員に仕える姿勢。時間をとって、犠牲を払ってその人のためになりそうな品を持ち、訪問して祈るほどの姿勢が長老には必要。

「互いに罪を告白し合い・・・いやされるようにお互いのために祈る」罪を告白し合うには信頼関係が必要。打ち明けたタイミングで「戒規」を言い渡されるようでは安全に話せる場は作れない。また、常に他人の間違いを探し出し、指摘するような行動も警戒しあう環境にしかならない。イエスが罪に対してどう対処したか?「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」(ヨハネ8:7)  罪を犯す人は誰もいないので、人は罪を裁くことはできない。告白し合ったら罪が赦されたことを確認し、その罪悪感から癒やされるようにお互いのために祈る。そのような関係が教会の中では望ましい。

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