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ヘブル12:1~13

Discipleship Journal Reading Planに沿ってデーボションを勧め、思ったこと、感じたことを書いてみた

'こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、 信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。 あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。 ' ヘブライ人への手紙 12:1-3

「自分に定められている競走を忍耐強く走り抜く」自分に定めらている競走は何か?神が私に求めているものは何か?それを見出すためになにをする必要があるのか?週に一度の礼拝、週に一度の祈祷会ではこれを見つけるのは無理だろう。日々の祈りと、聖書を読んで思いを巡らすことが必要。神との過ごす時間が長ければ長いほど、神のみこころを知ることができる。そしてそのみこころをが分かり、何がゴールか理解できたらそれに向かってひたすら走るだけ。この世において仕事や、世間体、所属する団体、そして時には教会組織にも、定められたゴールに向かう弊害となることがある。しかし、イエス・キリストが忍耐を持って十字架にかかったことを思い出し、「気力を失い疲れ果ててしまわない」働きを続けていきたい。

'あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。 もしだれもが受ける鍛錬を受けていないとすれば、それこそ、あなたがたは庶子であって、実の子ではありません。 更にまた、わたしたちには、鍛えてくれる肉の父があり、その父を尊敬していました。それなら、なおさら、霊の父に服従して生きるのが当然ではないでしょうか。 肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。 およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。 ‘ ヘブライ人への手紙 12:7-11

この箇所では罪との戦いについて「血を流すまで抵抗していない」と指摘していて、神の懲らしめ・鍛錬を軽んじないように指示している。これは、ヘブル人が罪と戦っていなかったことではなく、これまで紹介してきた殉教者(12:35-38) のような迫害はまだ受けていないということ。ローマ教会はネロの迫害を受けていたが、エルサレムにあるヘブル人の教会はまだこの影響を直接うけていなかった。しかしこのような迫害があったとしても、神からの鍛錬として捉えるように指示している。今日において迫害は友達の間や、職場の中で、世間にうわさされることによって、そして教会組織による排除活動によって受けることがある。しかし、これらの鍛錬をも神から来ると考えられたら耐えられるし、自分に対して良い結果がもたらされることが期待できる。

神の鍛錬は非難ではありません。鍛錬は忍耐をもって耐えられ、聖性を大いに促進します。私たちは、人の悪意によってもたらされた苦難を、賢明で恵み深い父が私たちの霊的な利益のために送ってくださった鍛錬と考えることを学びましょう。

https://biblehub.com/commentaries/mhc/hebrews/12.htm

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