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ヘブル11:17~31

Discipleship Journal Reading Planに沿ってデーボションを勧め、思ったこと、感じたことを書いてみた

'信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。 この独り子については、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」と言われていました。 アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です。 ' ヘブライ人への手紙 11:17-19

アブラハムは神にイサクをいけにえとして捧げるように言われたときに、アブラハムは躊躇なく実行に踏み切ったように見える (創世記22)。それほどアブラハムは神の約束を信頼していた。神はアブラハムに、星の数ほどの子孫を与えると約束していて、イサクがその子孫だと伝えていた。その約束を信じ、アブラハムは迷わず神の指示に従おうとした。さらに、アブラハムは神の偉大な可能性も理解し信頼していた。イサクをいけにえとして捧げたとしても、イサクを死から生き返らせることもできると信じていた。それほどまで神の偉大さを理解し、神に100%の信頼をおいていた。

私たちはどうだろうか?これほどまでに神を理解し、神を信頼しているだろうか?

私たちは、聖書全体を通して神の約束を読むことができるし、先人たちの例を見て約束が必ず果たされることも知ることができる。イスラエルは約束の地にたどり着き、王国を築くことができた。アブラハムに約束したとおりに、彼の子孫(イエス・キリスト)によって全人類が祝福された。神は偉大な方で、神によれば不可能がないことも聖書を通して知ることができる。神の子が赤子として生まれるようにして下さった。多くの人を肉体的に癒やし、一度に数千人の人にパンと魚を分け与えた。ラザロのように死者をも生き返らせた。神に難しいことはない (エレミヤ32:17)。

約束は多くあるが、今心に置かれている約束はイザヤ55:11。

「このように、わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事を果す。」 イザヤ55:11

宣教においてどのような形であれ、神のみことばが語られるのなら、それはむなしく帰ってこない。かならず神の「喜ぶところのことをなし、(神が)命じ送った事を果たす。」イベントに参加した人の心にみことばが残り、聖霊がそれを養って成長させ、やがて救いをもたらす。次の日曜日に礼拝に参加しなかったから「失敗」ではない。みことばは確実に伝えられたのだから、聖霊は働いてくださる。聖霊の働きを信じず、これまでやってきた「礼拝をする」「トラクトを配る」という伝統に逃げたくはない。神を信じて新たな宣教方法にチャレンジし、神が約束する結果をもたらしてくださることを信じていきたい。イエスが私たちに命じた大宣教命令を実行していきたい。

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