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ヘブル7:1~10

Discipleship Journal Reading Planに沿ってデーボションを勧め、思ったこと、感じたことを書いてみた

先日の投稿でメルキゼデクがイエスを象徴していることに触れたが、この箇所ではメルキゼデクがいかに律法で定められているレビ族より優れていることが掘り下げられている。律法によるとレビ族はイスラエルの中で特別な存在で、神に100%仕える人たちとして、イスラエルは彼らを経済的に支えていた。

'アブラハムは、メルキゼデクにすべてのものの十分の一を分け与えました。メルキゼデクという名の意味は、まず「義の王」、次に「サレムの王」、つまり「平和の王」です。 ' ヘブライ人への手紙 7:2

イスラエルにとって一番驚くポイントとして、イスラエルの起点であるアブラハムがメルキゼデクに十分の一を捧げたこと。まだ律法も祭司制度が制定されていない時代で、イスラエル人でもないメルキゼデクという人に、アブラハムは捧げものをしたこと。

ユダヤ人はこれについて色々な捉え方としている。一つは、祭司は元々メルキゼデクの家系から出るように神に定められていて、これを機にアブラハムに伝承されたとされている。もう一つは、メルキゼデクは割礼を受けた者として、アブラハムにトーラ(創世記〜申命記)について教えたとされている。他にも色々な説はあるが、どれも聖書自体には記されておらず、ユダヤ教学者の解釈にすぎない。

メルキゼデクは「義の王」「平和の王」とされている。人間に対して「義」「平和」「王」を同時に使って表すのはめったに見ない。それほどメルキゼデクは立派な人間だったのか、メルキゼデクは単なる人以上の存在を象徴している。神を畏れていて栄華を極めたソロモン王でさえ、「義の王」「平和の王」と呼ばれることはなかった。族長のアブラハムが十分の一を捧げるほど、メルキゼデクは「偉大であった」(4説)。

'彼には父もなく、母もなく、系図もなく、また、生涯の初めもなく、命の終わりもなく、神の子に似た者であって、永遠に祭司です。 ' ヘブライ人への手紙 7:3

メルキゼデクはイスラエルの家系にいない。当時父や母の名前を用いて「名前、誰々の子(父)、母は誰々だった」という自己紹介が一般的だった。しかし、メルキゼデクにおいてはそのようなことはなく、本人だけの紹介にとどまっている。しかもレビ族の血統でないにも関わらず、祭司が受けるべき十分の一を受け、祭司が授けるべき祝福の言葉を与えている (6説)。イエスは人としてこの世に来てくださり、その家系はレビ族ではなくダビデ王の家系だった。同時にイエスは神であり、父なる神と位の差がなく同等な存在でもある。始まりも終わりもなく、永遠に存在する神の子。その権威をもって、レビ族のような一時的な祭司ではなく、永遠なる祭司として役割を担ってくださる。

'更に、一方では、死ぬはずの人間が十分の一を受けているのですが、他方では、生きている者と証しされている者が、それを受けているのです。 ' ヘブライ人への手紙 7:8

レビ族は役割では取り分けられているが、他のイスラエル人と同じ人間だった。人間は誰でもいつかは死ぬが、レビ族は死んでいく人として十分の一を受けていた。一方、メルキゼデクは「生きている者と証しされている」。永遠に生きる神であるイエスが、祭司が受けるに相応しい十分の一を受ける。(しかし、これは今日の教会において十分の一を捧げ戒めにはならない)

メルキゼデクはイエスの永遠の祭司の役割を象徴している。イエスはレビ族の祭司と、その制度を制定する律法を凌駕していて、キリストの弟子であるクリスチャンは律法でなくキリストの下に置かれている。律法から見いだせるルール(十一献金など)に注力せず、イエスの教えを常に再確認したい。

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