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Esther

エステル

Discipleship Journal Reading Planに沿ってデーボションを勧め、思ったこと、感じたことを書いてみた

'急使はこの勅書を全国に送り届け、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日に、しかもその日のうちに、ユダヤ人は老若男女を問わず一人残らず滅ぼされ、殺され、絶滅させられ、その持ち物は没収されることとなった。 ' エステル記 3:13

ハマンはペルシア帝国の高い地位についたが、モルデカイはハマンに対して「ひざまずかず、敬礼しなかった」。ハマンはモルデカイに対して権威者だったが何故敬意を示さなかったか?二つ理由が考えられる。一つは、ハマンはアガグ人(またの名はアマレク人)であり、アマレク人はかつて神がイスラエルに根絶やしに(忘れられたように)するように命じた人々 (申命記25:17-19, 出エジプト17:8-16)。アマレク人であるハマンは「忘れるべき」存在なので、敬意を示すことはできなかった。二つ目に、当時権威者として置かれた人は神格化されていて、その人に敬意を示すということは、その「神」を崇拝する行為になってしまう。この二つの理由から、モルデカイはハマンに敬意を示さなかった。結果として、ハマンはモルデカイのみならず、モルデカイの民であるユダヤ人全員を根絶やしにするよう、王に働きかけた。

人は高い地位に置かれると高慢になりがち。それは政治のみならず、「先生」と呼ばれる立場、リーダーや管理者と言う立場などでもなりうる。自分の振舞いに関係なく、周りから敬意をもとめ、自分が特別な存在だと勘違いする。しかし、敬意を得るためにはまず自分がリーダーとしての素質を現わさなければならない。その中心的な素質はイエスがみせたサーバント・リーダーシップ(ピリピ2) と創世記1:28に書かれているkabashを実行すること。kabashというのは「支配し、耕し、組織化」することもあるが、対象者が「繁栄し、成長し、栄えるようにする」責任がある。敬意を求めるのではなく、相手の得を高めることがリーダーとしての役目。

'こうして王の命令によって、どの町のユダヤ人にも自分たちの命を守るために集合し、自分たちを迫害する民族や州の軍隊を女や子供に至るまで一人残らず滅ぼし、殺し、絶滅させ、その持ち物を奪い取ることが許された。 ' エステル記 8:11

ペルシアのルールとして王の指輪で印を押された文章は取り消すことができない。ユダヤ人を根絶やしにする文章はまだ有効であったが、エステルの働きにより、王はユダヤ人に自分たちを守る権利を与えた。ユダヤ人は自分たちから攻撃することができなかったが、攻撃されたときに身を守ることができた。また、攻撃する側に与えられた権利と同じ権利がユダヤ人に与えられた:「女や子供に至るまで一人残らず滅ぼし、殺し、絶滅させ、その持ち物を奪い取る」。

ここから得られることとしては

  • 神を敬う人は権威も敬う (ローマ13:1)。ユダヤ人は王の命令が無ければ命を守るための集合はしなかった。命令があって初めて身を守るよう集合した。キリスト者は神が与えた権威に従うことによって、神に従っていることを自覚する。
  • 可能な限り周りの人との平和と保つ (ローマ12:18)。エステル書を見る限り、ユダヤ人はペルシア帝国にいる人たちと平和に暮らしていて、モリデカイのように王に仕えている人もいた。キリスト者はこの世と敵対するのではなく、世の中で起きていることを理解し、世の光としてキリストのために影響し、地の塩として神の創造を守る役割を担う。
  • 命の守る (ヤコブ1:27)。ユダヤ人が王の命令を受けて自分たちの命を守ったように、キリスト者も自分たちの命はもちろん、周りの人たちの命をも守る義務がある。特に立場の弱い人たちに手を差し伸べて、形のある支援を提供する必要がある。
  • いのちを守る (1ペテロ3:15, 2テモテ2:24-25)。ユダヤ人はペルシア帝国の支配下であっても、神の律法を守り続けた (エステル3:8)。キリスト者も、信じていることを聖書を通して説明できるように準備し、聖書の教えや福音を伝える行動に出なければならない。
'こうして王の命令によって、どの町のユダヤ人にも自分たちの命を守るために集合し、自分たちを迫害する民族や州の軍隊を女や子供に至るまで一人残らず滅ぼし、殺し、絶滅させ、その持ち物を奪い取ることが許された。 モルデカイが紫と白の王服に、大きな黄金の冠と白と赤の上着を着け、王の前から退出してくると、スサの都は歓声に包まれた。 それはユダヤ人にとって輝かしく、祝うべきこと、喜ばしく、誉れあることであった。 王の命令とその定めが届くと、州という州、町という町で、ユダヤ人は喜び祝い、宴会を開いて楽しくその日を過ごした。その地の民族にもユダヤ人になろうとする者が多く出た。ユダヤ人に対する恐れに襲われたからである。' エステル記 8:11,15-17

ユダヤ人を根絶やしにする命令が、ユダヤ人に命を守る命令で帳消しにされ、さらにモルデカイやエステルの政治的影響力を恐れ、ユダヤ人となった人が大勢いた。それぞれの動機は違うし、安心のためにユダヤ人となった人もいたかもしれない。しかし、「神の民」と呼ばれる人が増えたことを喜び、神の権威がペルシア帝国をも動かした偉大さを称えるきっかけとなる。

ペルシャ人の多くはユダヤ教に帰依したが、彼らが割礼を受けたかどうかは定かではない。しかし、彼らが偶像崇拝を放棄し、真の神を崇拝するようになったことは確かです。このような改宗者はいつの時代にもいましたが、特にユダヤ人の生活が非常に豊かだったダビデやソロモンの時代にはいました。ハマンはユダヤ人を絶滅させようと考えましたが、問題の中で、彼らの数が非常に増え、多くの人が彼らに加わったことが証明されています。ユダヤ人が喜びと楽しみを持っていたとき、人々の多くがユダヤ人になったことを覚えておいてください。宗教を公言している人々の聖なる陽気さは、彼らの信仰にとって大きな装飾であり、他の人々に宗教心を持つように誘い、励ますものです。しかし、この時期に多くの人々がユダヤ人になった理由として、別の理由も挙げられています。それは、ユダヤ人の恐れが彼らに及んだということです。彼らは、この重大な局面において、神の摂理がいかに素晴らしく彼らを所有し、彼らのために働いたかを見て、彼らは偉大であり、彼らの中にいた者は幸せであると考えた。そして、彼らは自分たちが手に負えない存在であり、自分たちが敵対することは惨めであると考えた。彼らは、ハマンの運命を見て、ユダヤ人に危害を加える者がいれば、それは彼らの危険につながることをはっきりと理解し、それゆえ、自分たちの安全のために、彼らに加わったのです。イスラエルの神と争おうと考えるのは愚かなことであり、したがって、神に服従しようと考えるのは賢明なことです。

https://biblehub.com/commentaries/benson/esther/8.htm

キリスト者になる、教会に加わる、ということになるまで様々なきっかけがある。礼拝で説教を聞いた、というのも一つかもしれないし、日常の生活でクリスチャンとの関わりや、教会主催のコンサートやキャンプでもイエスに導かれる。「口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。これからも喜びます。」ピリピ1:18

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