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テトス1:10-16

Discipleship Journal Reading Planに沿ってデーボションを勧め、思ったこと、感じたことを書いてみた。

'実は、不従順な者、無益な話をする者、人を惑わす者が多いのです。特に割礼を受けている人たちの中に、そういう者がいます。 その者たちを沈黙させねばなりません。彼らは恥ずべき利益を得るために、教えてはならないことを教え、数々の家庭を覆しています。 ' テトスへの手紙 1:10-11

割礼を受けている人たちは何を教えていたから「不従順な物、無益な話をする者、人を惑わす者」というレッテルをはられたのだろうか?ユダヤ系クリスチャンは、キリストを受け入れたとしてもモーセ律法を守り続けなければならないと信じていた。十戒を守らなければならない、安息日を厳守しなければならない、十一献金を捧げなければならない、割礼を受けなければならない。キリスト者は律法の下にいない(ローマ6:14) ことを理解していなかった。それは、キリストが十字架で律法を成就してくださったこと (ローマ10:4、マタイ5:17) を理解していなかったとも言える。ユダヤ系クリスチャンが他のキリスト者に律法を強いることによって、キリストの救いが完成されていることを濁していた。救われても律法を守り続けなければならないと惑わしていた。なので彼らは「不従順な者、無益な話をする者」とされていた。現代の教会においても、恵みよりも律法(ルール)を強いる人たちがいる。「その者たちを沈黙させなければなりません。」

'清い人には、すべてが清いのです。だが、汚れている者、信じない者には、何一つ清いものはなく、その知性も良心も汚れています。 こういう者たちは、神を知っていると公言しながら、行いではそれを否定しているのです。嫌悪すべき人間で、反抗的で、一切の善い業については失格者です。' テトスへの手紙 1:15-16

汚れている人は知性と良心が汚れている。生きがいや達成したい目標は、インプットされた知性から導き出される。その知性や良心が汚れてしまうと、生きがいや目標も汚れたものとなる。これが行動として、「神を知っていると公言しながら、行いではそれを否定する」ことになる。神の義ではなく、自分の義が目的ならば、それを他人に押し付ける行動に出る。しかし、神の義に焦点を当てるなら、まず自分から変わらなければならない (マタイ5:7)。

また、神礼拝でなく、式典を重視するのが目標であれば、言葉で神を礼拝しているかもしれないが、心は式典の進行に執着している。このような礼拝は「なまぬるい」だけなので、神は受け付けない (黙示録3:16)。本当の礼拝は何か?霊と真 (ヨハネ4:23)を伴う礼拝。

感情を伴わない真は、死んだ正統派と、人工的な崇拝者であふれた・・・教会を生み出します。・・・一方、真理を伴わない感情は、無意味な熱狂を生み、思考力を否定する浅はかな人を育てます。しかし、真の礼拝は、深い感情を持ち、健全な教理を愛する人々から生まれます。真理に根ざした神への強い愛情は、聖書的な礼拝の骨と髄です。

https://www.thegospelcoalition.org/article/what-does-it-mean-to-worship-god-in-spirit-and-truth/

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