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1テモテ6:1~10

Discipleship Journal Reading Planに沿ってデーボションを勧め、思ったこと、感じたことを書いてみた。

'もっとも、信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です。 なぜならば、わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。 食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。 金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。 金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます。' テモテへの手紙一 6:6-10

「 金銭の欲は、すべての悪の根です。」では、金銭は求めない方が良いのか?よく聞かれる質問だが、まずこの箇所の背景から、どのような人にこの言葉が向けられているか確認しよう。

'異なる教えを説き、わたしたちの主イエス・キリストの健全な言葉にも、信心に基づく教えにも従わない者・・・精神が腐り、真理に背を向け、信心を利得の道と考える者・・・ ' テモテへの手紙一 6:3,5

イエス・キリストの「神を愛し、隣人を愛する」ことを大前提として教え。人として罪を裁くのではなく、イエスに立ち返るように助ける。人と寄り添い、人のニーズに合わせた奉仕。へりくだり、他人よりも低くするリーダーシップ。そしてイエスが教えた全ての事を世界に教えるようにと発した大宣教命令。これらの教えに従わない者は「精神が腐り、真理に背を向け、信心を利得の道と考え」ている。キリスト者=キリストに従う者とは言いづらい状況だ。

このような人たちに対して、信仰や金銭は利得を得るための道具でない、と教えている。言い換えてみれば、信仰や金銭は自分たちの為にあるものではない。自分たちだけ良ければ問題ない、ということではない。教会の予算と蓄えが増える時、それは何に使われているかを良く考えたい。自分たちだけの礼拝や礼拝堂のために使われているか?宣教にはどれほど予算を割いているか?経済的困難にある人を助けるためにどれほどの予算を割いているか?聖職者(牧師や退職した教師)を十分に支援しているか?会堂を考える前に、周りに十分なニーズが存在することを認識したい。それにどう答えるかがイエスが教えたことの中に方向性が見出せる。

本題の金銭を求めることの善悪に答えると、イエスの教えが前提にあるようだ。

'「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。 富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。 あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」 ' マタイによる福音書 6:19-21

天に富を積む、ということは、永遠につながるような金銭管理をすること。イエスに仕えるかのように、隣人のニーズに答えるための富を積んでいるか (マタイ25:40)。大宣教命令を果たす宣教の働きに富を積んでいるか。一人ひとりが神に近づけるような取り組み(教育、書物、デボーション)に富を積んでいるか。会堂は老朽化する。会堂の中のモノは盗まれる。しかし、人々が主にあって成長することは永遠へとつながる。このために世の中で働き、金銭を永遠に繋げる働きにつぎ込むことが、善ある金銭の求め方である。

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