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1テモテ1:12~20

Discipleship Journal Reading Planに沿ってデーボションを勧め、思ったこと、感じたことを書いてみた。

'「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。 しかし、わたしが憐れみを受けたのは、キリスト・イエスがまずそのわたしに限りない忍耐をお示しになり、わたしがこの方を信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした。 永遠の王、不滅で目に見えない唯一の神に、誉れと栄光が世々限りなくありますように、アーメン。 ' テモテへの手紙一 1:15-17

「わたしは、その罪人の中で最たる者です」パウロは新約聖書のほとんどを書いたほど、聖霊で満たされていた。パウロほど教会=キリスト者のことを思い、その人達のために見を削って神のみこころを伝えた人はいない。彼が「罪人の中で最たる者」なら、私達は何者だろう?自分が満足する礼拝式典が行われれば良い。自分に権限が与えられて教会の実務をこなすことができれば良い。これが神が望むことなのか?パウロが持っていた人に対しての思いからは学べることが多い。

キリストはどのように罪人と接したのか?

「限りない忍耐をお示しになり」戒規を言い渡すのではなく、忍耐を持って接する。それは赦すことかもしれないし、話し相手になることかもしれない。裁くことではない。

「命を得ようとしている人々の手本となる」命を得た人はどのように振る舞うべきか?まだ命を得ていない人はこれが分からないので、手本となる必要がある。例えば、喜びはあるか?礼拝賛美が葬式のようになっていては喜びを感じられない。キリストの蘇りを歌っているのに、また墓に戻っているような顔をして歌う人が目立つ。手本となるなら賛美で喜びを表したい。

「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。

受け入れた人は自然と神を賛美したくなる。ルールや恐れで強制する必要はない。

「永遠の王、不滅で目に見えない唯一の神に、誉れと栄光が世々限りなくありますように、アーメン。」

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