兄弟たち、あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主に結ばれた者として導き戒めている人々を重んじ、 また、そのように働いてくれるのですから、愛をもって心から尊敬しなさい。互いに平和に過ごしなさい。 テサロニケの信徒への手紙一 5:12-13 新共同訳
「導き戒めている人々を重んじ」ここは一般信者ではなく、長老の働きをしている人のことを指している。神のみことばを解読し、信者に教えていく。教会のビジョンとミッションを明確にし、それに向かって行けるように教会員を整える。信仰問答を暗記し、長老に頼るように仕向けるのではない。各々が聖書に基づいた考えでビジョンとミッションを達成していけるように整える。「そのように働いてくれる」人々を重んじ、愛をもって心から尊敬することができる。
では、このように働いていない指導者や長老に対してどのように振る舞うべきか?同じように重んじ、「愛をもって心から尊敬」することには変わりない。しかし、指導者はこの尊敬を軽く取るべきではない。指導者として厳しく裁かれることを理解していなければならない。
人々を支配することではなく、模範となることを目標としなければならない。ビジョンとミッションは示すが、どのようにそこにたどり着くかを細かく指導していく立場ではない。このように双方が尊重される関係により、健全な教会が建てられる。
兄弟たち、あなたがたに勧めます。怠けている者たちを戒めなさい。気落ちしている者たちを励ましなさい。弱い者たちを助けなさい。すべての人に対して忍耐強く接しなさい。 だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい。 テサロニケの信徒への手紙一 5:14-15 新共同訳
「怠けている者たちを戒めなさい」当然のことだが、怠けていれば働くことを勧めるべき。間違いを犯していれば正しい方向に導くべき。同時に、「気落ちしている者たち」「弱い者たち」を励まし助ける必要がある。長い間教会に来れていない人が教会に戻ってきたら、まず必要なのは励ましと助けであり、戒め(ましてや戒規)ではない。この状態で戒めを課すのは「悪をもって悪に報いる」のと同じこと。過ちがあった時、どのように「善を行う」ことができるかまず考えたい。