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1 John

1ヨハネ4:7-21

この箇所では愛を取り上げている。神は愛で、私たちは神の愛を与えられて愛することができる。何故愛すべきか、どのように愛すべきかを考えていきたい。

何故愛すべきなのか?

7 愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。すべて愛する者は、神から生れた者であって、神を知っている。8 愛さない者は、神を知らない。神は愛である。

理由① 神は愛であるから。クリスチャンである私たちは神から生まれた者。子供が親のDNAを受け継ぐように、私たちも神の愛というDNAを受け継いでいる。なので私たちはクリスチャンであるならば、神から出る愛を受け継ぎ、私たちも愛するものであるべき。愛することができれば、神を知っている証拠となる。つまり本当にクリスチャンであるという証拠になる。

9 神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。11 愛する者たちよ。神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互に愛し合うべきである。

理由② イエス・キリストが私たちを愛して下さったから。私たちは罪に犯されているので死と裁きに向かっている存在だったが、キリストの十字架によって私たちを生きるようにしてくださった。これが神の愛。私たちは何かをしたからではなく、神の一方的な愛によって救われた。クリスチャンであれば、この愛に答えるために互いに愛すべきである。

12 神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。

理由③ 神の愛が全うされるから。クリスチャンが互いに愛し合うことができれば、神の愛の性質と、キリストの十字架の愛が、私たちが見えて実感できる形へとなっていく。そして、互いへの愛が本物であれば、まだクリスチャンでない人たちに神の愛を表すようにもなっていく。神の愛はクリスチャン同士の身内にとどまるのではなく、世の中を影響するまでの力があり、福音を生活の全てに適用することができる。神の愛は世の中に広がり全うされる。

どのように愛すべきなのか?

13 神が御霊をわたしたちに賜わったことによって、わたしたちが神におり、神がわたしたちにいますことを知る。

方法① 聖霊によって。クリスチャンは聖霊が与えられている。聖霊は私たちに聖書の真理を照らし出してくださるし、私たちにキリストが教えたことを日々示して下さる。自分たちで努力して愛するのには限界があるが、神である聖霊は私たちを突き動かし、心を変え、神の愛を示すようにして下さる。聖霊により頼むことが愛するための最初のステップ。

14 わたしたちは、父が御子を世の救主としておつかわしになったのを見て、そのあかしをするのである。15 もし人が、イエスを神の子と告白すれば、神はその人のうちにいまし、その人は神のうちにいるのである。16 わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。

方法② イエス・キリストを証する。私たちがイエスを神の子と告白すれば、神は私たちのうちにいて、私たちは神のうちにいる。つまり、イエス・キリストを証することが、私たちが神の愛を示す効果的な方法。これは教会の中で互いにキリストを証しあうこともできるが、世の中で生活し、日々キリストを証することも重要。神の愛は内に秘めるものではなく、公に証するものだ。

17 わたしたちもこの世にあって彼のように生きているので、さばきの日に確信を持って立つことができる。そのことによって、愛がわたしたちに全うされているのである。18 愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。

方法③ イエス・キリストのように生きる。クリスチャンであればイエスのように生きる。イエスのように人々に寄り添い、イエスのように隣人を助け、イエスのように神の真理を見出し語る。この行動が伴っていればさばきの日を恐れる必要はない。イエスのように生きていれば何も恐れる必要はないし、神の愛が私たちの内に全うされていく。

19 わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである。20 「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない。21 神を愛する者は、兄弟をも愛すべきである。この戒めを、わたしたちは神から授かっている。

方法④ 互いを愛する。クリスチャン同士が愛することができない、または憎むことはあってはならない。しかし、相手が愛のない行動に出たとき、私たちは愛することが非常に難しい。神は私たちに常に愛を示して下さるが、人間はそうもいかない。互いに罪人だから傷つけ合うことはある。それでも互いを愛すべき、という戒めが与えられている。これを可能にするのは方法1〜3にあったように聖霊により頼み、イエス・キリストに焦点を当ていくこと以外に、互いを愛することにはつながらない。たた戒めを守るだけでは、上辺だけの心がこもっていない礼儀正しい「愛」にすぎない。心から神を愛するのと同じように互いを愛することができるように、イエスから学び、聖霊に心を変えて頂きたい。

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