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Ephesians

エペソ4:25~32

Discipleship Journal Reading Planに沿ってデーボションを勧め、思ったこと、感じたことを書いてみた。

25 だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。わたしたちは、互いに体の一部なのです。 怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。 悪魔にすきを与えてはなりません。

怒ることは罪ではない。イエスも神殿が汚されているのを見て怒った (ヨハネ2:13~16)。神の義を保つために、神の真理を守るために怒るのは正しいことだ。しかし怒りを心に留めてそのままにしておくことは「悪魔にすきを与える」ことになる。これは「隣人に対して真実を語る」こととリンクしているように思える。隣人に対して怒りがあるなら、真実として語っておく必要がある。もちろん、ただ怒りに任せた言葉の殴り合いでは何も解決しない。感情の出どころを整理し、状況や情報をならべ、互いを尊重し理解し合う体制を作っていくことが大事。話し合いの場を避ける、感情に任せて一方的なメッセージを投げつける。このような行動は怒りを残す形となり、悪魔にすきを与える。

29 悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。31 無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。 互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。

どのような言葉を、誰にたいして整理し語るべきか?「聞く人に」が大前提。自分が伝えたいことではなく、相手がどう受け取るかをしっかり考えた上で言葉を整理する。その人に「恵みを与え」「造り上げるのに役立つ言葉」を考える。中心は自分ではなく、ルールを守る義でもなく、「聞く人」つまり「隣人」が中心。まさにイエスが命じた2つ目の戒め、「隣人を愛する」ことそのものだ。キリストが地上で示したように、「親切」と「憐れみ」あるキリスト者としての言葉を語る。

30 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。

聖霊がキリスト者の内に宿っていることを忘れてはならない。聖霊はキリスト者を日々変えて(聖化)いるが、「 無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしり」の言葉を語ると聖霊は悲しむ。せっかく聖の方向に進んだのに、この言葉によって逆方向に向かってしまう。聖霊の働きに答えるためにも「隣人」を中心とした対話と言葉を考えたい。

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