行いのないあなたの信仰

ヤコブ2:18~20
(18)さらに、こう言う人もあるでしょう。「あなたは信仰を持っているが、私は行いを持っています。行いのないあなたの信仰を、私に見せてください。私は、行いによって、私の信仰をあなたに見せてあげます。」(19)あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。(20)ああ愚かな人よ。あなたは行いのない信仰がむなしいことを知りたいと思いますか。

ヤコブ2章ではこれまで「えこひいき」をしてはいけないという事を読んできました。それは、2つの最も重要な戒め、「神を愛する」のと「隣人を自分のように愛する」ことを守ることから来ています。18説からは新しいトピックに移ります:「信仰と行い」の関係です。

18節 「あなたは信仰を持っているが、私は行いを持っています。行いのないあなたの信仰を、私に見せてください。私は、行いによって、私の信仰をあなたに見せてあげます。」

ここで忘れてはならないのが、信仰は私たちの行いから来るものではありません。ガラテヤ3:11「律法によって神の前に儀と認められる者が、だれもいないということは明らかです。『義人は信仰によって生きる』のだからです。」 律法は私たちに3つのことを教えています。1)この世で生きる上での正しい秩序のありかた。特にイスラエルの民には法律のように扱われていました。2)律法は完全に守れないこと。律法を守ろうとするほど、私たちは自分の罪気にづきます。これでは神の前に義と認められないので、イエス・キリストのあがないがどうしても必要なのです。3)律法は信仰を持つものに対して規範です。救われたからこそ、神への感謝の気持ちをもって律法を守るようになります。

ですから、18説にあるような、信仰はあるけど行いはないという状態は本来はありえないのです。神を認めていなかった私たちが律法によって罪を示されました。私たちはどうしようもない状態にあることが分かります。自分では何もできないのです。そこで、神はイエス・キリストの犠牲によって私たちを義と認めてくだいました。全て神が行ったことです。これを信じるものならば、ここまでしてくださった神に感謝するではないでしょうか。そして、その感謝が行動に現れるではないでしょうか。

19節 あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。

ヤコブの時代では、多神教であふれていました。海の神、愛の神、雷の神など。そんな中、ユダヤ人やクリスチャンは唯一神(ゆいいつしん)を信じていました。ここで大事なのは、一神教(いっしんきょう)と勘違いしないことです。一神教とはいろいろな神がいるなかで一つの神をあがめることです。クリスチャンは他の神は存在しないと信じています。これが唯一神です。申命記6:4「主は私たちの神。主はただひとりである。」

悪霊もこれを信じています。神は唯一であり、全能であり、絶対主権者であります。神は全てを創造し、常に治めています。(これは人間や天使や悪霊を含めてです。)マルコ5:12では、イエスが悪霊に取り付かれた人に出会ったときの事が書かれています。悪霊は、「私たちを豚の中に送って、彼らに乗り移らせてください」といいました。用は、イエスのゆるし無しでは、悪霊は乗り移ることが出来なかったということです。

ですが、悪霊は義と認められていません。むしろ、終末には地獄に葬られます。唯一の神を信じるのはいいですが、それは悪霊も同じです。本当に信じているならば神を愛する生き方として良い行いをするべきです。ヨハネ14:15「もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。」

20節 ああ愚かな人よ。あなたは行いのない信仰がむなしいことを知りたいと思いますか。

行いのない信仰はむなしいです。それは、山の中にこもって修行する修道院と同じです。世の中から離れた生活をして、自分の欲を押さえ込んで神に集中します。表向きはいいですが、クリスチャン全員が山にこもったら誰が福音を伝えるのでしょうか?また、私達にやることがなければ、イエスが私達を救ったあとすぐに天に連れて帰ったでしょう。ですが、イエスは私達をこの世に残してヨハネ15:16〜17でこのように教えました。信仰と救いに関して:「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」行いに関して:「それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです。」

神が私達を選んでくださり、救って下さったことに感謝し、職場や家庭で神を愛する生き方として良い行いをしましょう。