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エペソ2:1~10

1 さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。3 わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。

私達は生まれながら善い人間として生まれてこない。誰も小さな子供にいたずらや嘘をつくことを教える必要ないのと同じように、自然体のワタシたちは「肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動」する。自然体として神のことは意識せず、他人を思っての行動も自分の立場や見られ方を気にしながら行動する。

(Total Depravity = 全的堕落)
ちなみに、全的堕落を受け入れているのはカルヴァン主義だけではなく、アルミニウス主義も受け入れている。

4 しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、5 罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです――

私達は生まれながら「死んでいる」状態でいた。自分のためだけに生き、自分を守るための行動しかしていなかった。そもそも、生まれた時からこんな状態なので、私達を裁くのはフェアではないのではないか?確かに、罪はアダムから受け継がれているから(ローマ5:12)私達もその影響を受けている。しかし同箇所に、「すべての人が罪を犯した」とある。生まれながらの状態が原因かもしれないが、それでも罪を犯すことに代わりはない。そんな状態だからこそ、「哀れみ豊か」な神は私達を愛してくださり、イエス・キリストと共に「生きる」状態へと変えて下さった。

6 キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。7 こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとされたのです。

「生きる」状態にするだけでなく、「天の王座に着かせてくださった」。地上でどのような立場であろうと、どんなに人に虐げられようと、拒絶されようと、私達はキリストの隣に席が用意されている。神による私達の価値はそれほど大きく、私達もその立場に自信を持つことができる。人の目を気にし、人に認めてもらう必要は全く無い。キリストによって、私達は神に認められた者なのだから。これが神が与える「限りなく豊かな恵み」。

8 事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。
9 行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。

「愛して下さり」「共に生かし」「共に復活させ」「神の賜物」 すべて神が成したこと。私達は何も誇ることはできない。いくら信仰問答の知識を詰め込んでも、正しい答えを言うことができても、神が救いを与えなければその人は救われていない。逆に、神が救いを与えればその人は変えられる。知識や正しい答えが最初は備わっていなくても、その人のモチベーションや生き方に現れている。教会として洗礼を授ける、教会員として受け入れる、という場面において、知識や答え重視ではなく、その人を良く知り、その人がどのような生き方をしようとしているかがメインの判断ポイントとなるべき。

(Irresistible Grace = 負荷抵抗的恩恵)

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エペソ1:15-23

17 どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、

知恵を授けるのは主。 主の口は知識と英知を与える。

箴言 2:6

聖書を読む、祈り聖霊に頼る。人が書いた書物には限界があるが、神が聖書を通して与える知恵と掲示はいくら学んでも尽きることはない。

18 心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。

キリスト者が与えられている希望、受け継ぐ栄光に輝いているもの。これを悟ったときに神を賛美するのは当たり前のこと。しかしそこで留まっているだけではキリストの弟子とは言えない。伝えていくことによって本当のキリスト者である地の塩、世の光となる。

あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。 あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。 また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。

マタイによる福音書 5:13‭-‬1
22 神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。
23 教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。

教会の頭はキリストであり、牧師や長老や執事ではない。もちろん、教会の中には役割はあるが、すべての教会員はキリストを頭として教会を立てあげる責務がある。上に立つものは群れを牧し、世話をする(1ペテロ5:2)。これに従う教会員はリーダーの教えや生き方や指示が正しいか判断し、必要であれば指摘する(1テモテ5:19-20)。皆キリストの下にある者として、力関係の上下でなく役割の違いを理解して教会を立てあげたい。

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エペソ1:1-14

4 天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。
5 イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。

神はキリスト者を天地創造の前に「お定めになった」(=proorizo=前もって印を付けておく)。人に何と言われようと、「神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになった」(ローマ8:30)。神が決めること、成すことに対して誰も何も言うことも、手出しをすることは出来ない。キリスト者の自信溢れる生き方の基盤はここにある。

(TULIPのU=Unconditional Election 無条件的選び)

13 あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。
14 この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。

福音を聞いて信じる。それだけで救われる。

口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。

ローマ10:9

信仰問答を完璧に理解する必要もなければ、一定の呪文のような言葉を唱える必要もない。イエスが主であると宣言し、イエスが死から復活したと信じる。それだけで救われる。それだけで約束の聖霊が与えられる。
聖霊が宿ることによって、キリスト者は最後まで信仰を保つことができ、天の御国に入ることができる。天で神の栄光をたたえることになる。

(TULIPのP=Perseverance of the Sants 聖徒の堅忍)