Categories
1 John

1ヨハネ2:26-27

Discipleship Journal Reading Planに沿ってデーボションを勧め、思ったこと、感じたことを書いてみた

26 わたしは、あなたがたを惑わす者たちについて、これらのことを書きおくった。27 あなたがたのうちには、キリストからいただいた油がとどまっているので、だれにも教えてもらう必要はない。この油が、すべてのことをあなたがたに教える。それはまことであって、偽りではないから、その油が教えたように、あなたがたは彼のうちにとどまっていなさい。

「あなたがたを惑わす者たち」とは誰だろう?「私たちから出ていった」(19節)反キリストを指している。

この人達は真理を知ってキリストを受け入れ、その後にキリストに背いたのではない。もともと「私たちに属する者ではなかった」から、実際にはキリストを受け入れていなかったことになる。だから彼らは、イエスがキリスト(油注がれた選ばれた者)であることと、神であることを否定する。否定の形は様々で、イエスの権威を否定することから、イエスの教えを否定すること、またイエスの生き方から学びイエスのようになろうとしない者もイエスを否定している。さらにイエスのことを聖書から学ばず、人が作り上げた教えだけに従うのも、イエスを否定することと言える。このような反キリスト的な行動をする人たちがクリスチャンを惑わす。

「キリストからいただいた油がとどまっている」

キリストの油とは何だろうか?旧約聖書で油は、王や祭祀を特別に選び、取り分けるために使われた。神に選ばれた者として、特別な存在として、その人を特定の役割に任命ことを表すために、油を頭から注がれた。同じように、神に選ばれてクリスチャンとされた私たちは、キリストの油を注がれている。私たちは罪を赦され、神の子供とされ、天の国を相続する者とされた。これは確定していることで、誰も私たちを神から引き離すことはできない。(ヨハネ10:28)

「だれにも教えてもらう必要はない。」

何を教えてもらう必要がないのか?キリストの油を注がれ、クリスチャンとされた事実は、誰にも教わることも否定されることもできない。聖書に掲示された救いのプロセスを理解し、キリストを受け入れてキリストに従う者とされたことは、確実に起きたこと。神がその人を選び、キリストがその人のために十字架にかかり、聖霊がその人に信じる心を与えた。これは教会が教え込んで救いを起こさせることではなく、教会がその人が救われたと断定することでもない。信仰はあくまで神が与えている。教会はこの大前提に立って洗礼を授け、会員として受け入れる判断をしなければならない。「正しい答え」や「特定の言葉」、「牧師の承認」は判断材料にはならない。

「その油が教えたように、あなたがたは彼のうちにとどまっていなさい」

神に選ばれ、神の確かな救いを私たちに授けて下さったのだから、私たちはキリストの内にとどまる使命がある。ときにそれは、キリストにとどまらない行動を指示されたら、キリストの教えを確認した上でその指示にあらがう必要もある。それを正しく判断するためには、人からではなく聖書から学び、間違いを感知できるように目を覚ましていなければならない。(1ペテロ5:8) 反キリストは教会の中に潜んでいるので、惑わされないように注意しておきたい。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *