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ヤコブ1:12-18

Discipleship Journal Reading Planに沿ってデーボションを勧め、思ったこと、感じたことを書いてみた

'試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。 ' ヤコブの手紙 1:12

神は試練を与えるかもしれない。「キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。」(2テモテ3:12) しかし、これを耐え忍ぶ人には、神は命の冠を約束している。「あなたの受けようとする苦しみを恐れてはならない。見よ、悪魔が、あなたがたのうちのある者をためすために、獄に入れようとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあうであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠を与えよう。」(黙示録2:10) 幸い私たちのほとんどはクリスチャンとして命の危険にさらされることは無いが、キリストのために生きようとしたとき、聖書の真理を貫こうとしたとき、迫害に合うことがある。命の危険はないかも知れないが、精神的に追い詰められて命が削られるような思いをする。そんな時に、命の冠を与える神に目を向け、日々命を与えてくださるように願いたい。

'誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘惑したりなさらないからです。 ' ヤコブの手紙 1:13

誘惑は神からこない。つまり、罪を犯す誘惑のこと。神は罪を犯すことはことはないし、罪に影響されることはない。よって、神は人に罪を犯すように唆したりはしない。

'良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。御父には、移り変わりも、天体の動きにつれて生ずる陰もありません。 御父は、御心のままに、真理の言葉によってわたしたちを生んでくださいました。それは、わたしたちを、いわば造られたものの初穂となさるためです。 ' ヤコブの手紙 1:17-18

むしろ、神は良い贈り物をくださる。先程の命の冠もそうだが、無傷で完璧な、完全な賜物を与えてくださる。そもそも私たちがクリスチャンになったのも、神が「真理の言葉」を与えて下さったからだ。それは、聖書にかかれている通り、イエス・キリストが私たちの罪の代価を支払って下さったことを信じて受け入れることによって、神の子どもとされること。この「福音」=「good news」こそ、神が私たちに与えて下さった最も完全な賜物。

'むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。 そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。 ' ヤコブの手紙 1:14-15

人が欲望に引かれ、唆されて、姦淫に陥ると、生まれてくるのは罪。その罪が成長すると死を生む。私たちの身の回りの欲望は何だろうか?長年傷つけられてきたことを許せないことだろうか。守りたいものがあるから権力を利用して人を排除することだろうか。自分を良く見せるために、都合の良い嘘や情報統制を図ることだろうか。このような欲望に引かれると自分に対して、隣人に対して、そして影響する人に対して死を生むことになることを、常に覚えておきたい。

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