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ヘブル7:11~28

Discipleship Journal Reading Planに沿ってデーボションを勧め、思ったこと、感じたことを書いてみた

'その結果、一方では、以前の掟が、その弱く無益なために廃止されました。―― 律法が何一つ完全なものにしなかったからです――しかし、他方では、もっと優れた希望がもたらされました。わたしたちは、この希望によって神に近づくのです。 ' ヘブライ人への手紙 7:18-19

律法は「弱く無益なために廃止」された。律法が定める動物犠牲、祭司制度、その他様々なルールは、私たちを完全に罪から開放することはできない。安息日を守っても、什一献金を捧げても、奉仕に時間を費やしても、神に近づくことはできない。神が求めるのはルールを守ることでも、身を切る奉仕でもない。神は行動でなく心を求めている。その心があってこそ、神に近づき希望を得ることができる。

'もしいけにえがあなたに喜ばれ 焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら わたしはそれをささげます。 しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。 打ち砕かれ悔いる心を 神よ、あなたは侮られません。 ' 詩編 51:18-19
'律法は弱さを持った人間を大祭司に任命しますが、律法の後になされた誓いの御言葉は、永遠に完全な者とされておられる御子を大祭司としたのです。 この方は、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために毎日いけにえを献げる必要はありません。というのは、このいけにえはただ一度、御自身を献げることによって、成し遂げられたからです。 このように聖であり、罪なく、汚れなく、罪人から離され、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとって必要な方なのです。 ' ヘブライ人への手紙 7:26-28

教会のルールに罰せられて、教会のリーダーによって赦されるという制度は、祭司が生贄を捧げていたのと変わらない。人に頼る罪の赦しには限度があり、毎日「いけにえ」を捧げても神の規準は満たせない。私たちに必要なのは「聖であり、罪なく、汚れなく、罪人から離され、もろもろの天よりも高くされている大祭司」であるイエス。イエスは罪がないゆえに自分のために生贄を捧げる必要はなく、民のために生贄を捧げ続ける必要もない。一度だけ十字架にかかったことによって私たちの罪の生贄になってくださった。イエスの生贄によって、私たちは罪赦される。

'それでまた、この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。 ' ヘブライ人への手紙 7:25

イエスは完全に私たちを救うことができる。人の赦しではなくイエスの赦しを求め、ルールにすがるのではなくイエスの教えにすがることが、キリストの弟子として生きることの目的である。

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