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ヘブル6:13~20

Discipleship Journal Reading Planに沿ってデーボションを勧め、思ったこと、感じたことを書いてみた

神は、アブラハムに約束をする際に、御自身より偉大な者にかけて誓えなかったので、御自身にかけて誓い、 「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたの子孫を大いに増やす」と言われました。 こうして、アブラハムは根気よく待って、約束のものを得たのです。 ヘブライ人への手紙 6:13‭-‬15 新共同訳

神が救いの約束をしてくださり、ご自身にかけて誓ってくださった。この「誓い」という言葉で思い出すのがヤコブに書かれていること。

'わたしの兄弟たち、何よりもまず、誓いを立ててはなりません。天や地を指して、あるいは、そのほかどんな誓い方によってであろうと。裁きを受けないようにするために、あなたがたは「然り」は「然り」とし、「否」は「否」としなさい。’ ヤコブの手紙 5:12

クリスチャンとして、私たちは「誓い」をしてはいけないのか?結婚式や裁判所での「誓い」はどうなのか?「誓い」をすることは悪いことではないと考えられる。このヤコブの箇所では、誓いを立てないと真理が語られないという環境を現わしている。教会員の間でも、友人関係でも、私たちは常に真理を語らなければならない。何もなかったかのように笑ってごまかしたり、問題を残したまま会話せず人を避けたりするのは問題の解決にならないし、真理を語り合っていない。こういう環境だと「誓い」が必要となってしまうかもしれないが、本来は真理を語れる環境であるべき。神が救いの約束をしたのと同様、私たちも真理を語り、ことばにおいて信頼できる人でありたい。

それは、目指す希望を持ち続けようとして世を逃れて来たわたしたちが、二つの不変の事柄によって力強く励まされるためです。この事柄に関して、神が偽ることはありえません。 わたしたちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものであり、また、至聖所の垂れ幕の内側に入って行くものなのです。 イエスは、わたしたちのために先駆者としてそこへ入って行き、永遠にメルキゼデクと同じような大祭司となられたのです。 ヘブライ人への手紙 6:18‭-‬20 新共同訳

「二つの不変の事柄によって力強く励まされる」この二つの不変の事柄とは何だろう?一つは、神がアブラハムに対して「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたの子孫を大いに増やす」(13節)と約束したこと。そして単に子孫を増やしてイスラエルの民を作っただけでなく、その民を通して全世界の人々が祝福されることも約束した (創世記22:18)。この祝福とは、イスラエルの血筋を持って生まれてくるイエス・キリストが、全人類のために十字架にかかり、罪の代価を支払ってくださったこと。

二つ目は、神がこの約束を誓ったこと。一般的に誓う場合、誓う人よりも権威ある者によって誓いをするのだが(結婚式の場合は神の前で誓う)、神より上はいないのでご自身の名において誓った。つまり、神の約束はすべてご自身で責任を負っているので、人がどう反応するかは関係ない。私たちは全知全能の神が約束を果たして下さることを信頼し、この確かな土台に錨を下して流されないようにすることができる。

「至聖所の垂れ幕の内側に入って行く」約束が果たされる利点として私たちは神との親密な関係が回復する。垂れ幕の中は神殿の中で神が宿った場所であり、大祭司しか入れなかった。大祭司も罪を贖っていなければ垂れ幕に入った瞬間に死んでしまう。イエスが先に垂れ幕に入り、仲保者となってくださったので、私達は自由に垂れ幕の中、すなわち神の前に行くことができる。

神に信頼をおくことができ、神との親密な関係が回復する。それはすべて神の約束と誓いがあってこそ実現している。

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