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2テモテ3:10~17

Discipleship Journal Reading Planに沿ってデーボションを勧め、思ったこと、感じたことを書いてみた。

キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆、迫害を受けます。 悪人や詐欺師は、惑わし惑わされながら、ますます悪くなっていきます。 だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。あなたは、それをだれから学んだかを知っており、 また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。 テモテへの手紙二 3:12‭-‬14 新共同訳

「悪人や詐欺師は、惑わし惑わされながら、ますます悪くなっていく」間違えや失言を認めず、謝罪を求めていても公の場では「言った覚えがない」「そう言ったつもりはない」と自分を守る行動にでる。こうやって、惑わす行為を続けていき、信用を失っていく。同時に、神の道に正しく生きようとする人、そしてそれを伝えようとする人を締め出し、影響力を留める行動に出る。まさに「信心深く生きようとする人は皆、迫害を受ける。」しかし、聖書や多くの神学者から「学んで確信したことから離れる」必要はない。いかに「教会」という組織が一つの教えに注力したとしても、それが間違っていると聖書から確信しているなら、それを曲げる必要はないし、むしろ正しい方向に向かうように指摘していきたい。

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。 こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。 テモテへの手紙二 3:15‭-‬17 新共同訳

聖書には絶対の自信をもつことができる。聖書は信仰問答や人の書いた本より優れているし、「救いに導く知識」を与えるのも聖書しかない。聖書に従う人は「神に仕える人」であり、本当の「善い業を行うことができるように、十分に整えられる」。アメリカのホテルや刑務所では信仰問答や人の書いた本は置かれていない。聖書が置かれている。聖書にはそれだけの力があるからだ。教会においても、聖書を読むのは礼拝の式典の中だけに留まらず、会議においても、学びにおいても、毎日のデボーションにおいても、聖書を読んで思いを巡らすことによって、聖書の力を体験することができる。キリスト者が全員そうすれば、一人の教えに頼り切ることも、イエスの教えよりも伝統を重んじることも軽減される。「悪人や詐欺師」に惑わされることはなくなる。

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