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2テモテ3:1~9

Discipleship Journal Reading Planに沿ってデーボションを勧め、思ったこと、感じたことを書いてみた。

'しかし、終わりの時には困難な時期が来ることを悟りなさい。 そのとき、人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き、高慢になり、神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなります。 また、情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になり、善を好まず、 人を裏切り、軽率になり、思い上がり、神よりも快楽を愛し、 信心を装いながら、その実、信心の力を否定するようになります。こういう人々を避けなさい。 ' テモテへの手紙二 3:1-5

「自分自身を愛し、金銭を愛し」自分のことだけに焦点が当たれば、自分のためだけに行動するようになる。金銭も同様、自分の懐を大きくすること、自分の礼拝する会堂が快適になるようになど、自分への投資が大きくなる。「ほらを吹き、高慢になり」自分を正当化するためになるべく多くの人に自分の主張を言いふらし、それに同意する人が増えるたびに高慢になっていく。「神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなる」自分中心になれば神のことは二の次。自分が立てあげてきたものを守るために神の意思を探らなくなり、結果的に神を畏れることを忘れ、あざけることにもなる。「情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になる、善を好まず、人を裏切り」他人の間違えや弱さに対して厳しい目でしか見なくなる。イエスが赦したことを忘れ、「正しさ」だけを追求する。「教会の秩序」を理由に、ろくな話し合いをせず切り離していく。「軽率になり、思い上がり、神よりも快楽を愛し」自分たちだけが正しいと思い込み、聖書を見直して自分たちの考えや方向性が正しいか確認することを怠る。「すでに聖書は学び終えた」という考えに陥る。「信心を装いながら、その実、信心のちからを否定するようになる」「礼拝」という名の式典を毎週行っていて、「学び」という名の読書感想会を行っているから信心があると勘違いしている。信心のちからを理解せず求めずに、知識や形だけを求めてしまう。

いつも学んでいながら、決して真理の認識に達することができません。

テモテへの手紙二 3:7
しかし、これ以上はびこらないでしょう。彼らの無知がすべての人々にあらわになるからです。ヤンネとヤンブレの場合もそうでした。 ' テモテへの手紙二 3:9

「彼らの無知がすべての人々にあらわになる」聖書は生きていて、真理を示すことができる (ヘブル4:12-13)。聖書を読み、ルールやしきたりを吟味することによって、何が真理で何が伝統かを分けることができる。皆が神のみことばにひれ伏すとき、形にこだわることがいかに無知だということが分かる。また、間違った教えを押し通し、しきたりをベースに支配し続ける人々は厳しく裁かれる (ヤコブ3:1)。神の主権に任せ、聖書に示された真理を貫き通すことだけに注力したい。

神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです。 更に、神の御前では隠れた被造物は一つもなく、すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです。この神に対して、わたしたちは自分のことを申し述べねばなりません。 

ヘブライ人への手紙 4:12-13

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