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2テモテ1:1~7

Discipleship Journal Reading Planに沿ってデーボションを勧め、思ったこと、感じたことを書いてみた。

そういうわけで、わたしが手を置いたことによってあなたに与えられている神の賜物を、再び燃えたたせるように勧めます。 テモテへの手紙二 1:6 新共同訳

パウロがテモテに手を置いたことによって何が起きたのか?パウロになにか特別な力があったのか?逆に、この手を置く行為がないとテモテは賜物を発揮できなかったのか?

テモテに手が置かれたのは1テモテ4:14に記録されている。パウロ一人が手を置いたのではなく、長老と共に手を置いている。その行為によって「賜物」が与えられている。この「賜物」は何を指しているのか?「霊的賜物」は神によって与えられる (ローマ12:3) ので、手を置く行為によって与えられることはない。手を置くことによって長老たちはテモテの霊的賜物と神のみこころを確認していると言える。神はすでに「牧会」や「リーダーシップ」の霊的賜物をテモテに与えていた。それを発揮する機会(賜物)が長老によって与えられたと言える。長老たちはテモテを伝道師(牧師)の働きに専念するよう取り分けている。

パウロと長老には特別な力はないし、テモテに特別な力を与えることもなかった。手を置く行為は神がすでにテモテに与えた賜物と召しを確認することである。また、信仰が確認されているキリスト者なら誰でも手を置いて同じことが行える。長老に留まらず、教会全体に互いの霊的賜物を確認し、神の召しを認識し合う義務がある。

神が一人の人を召され、牧師としての資格を与えられるとき、それはその人にも教会の他の人々にも明らかになります。牧師になる人は、1テモテ3:1-16とテトス1:5-9に記載されている資格を満たしており、みことばを伝えたいという切実な願いを持っています(1コリント9:16)。教会の長老たちは、信徒たちとともに、召しを認め、受け入れる義務があります。その後、強制ではありませんが、正式な任命式である聖職授与式を行うのが適切です。叙任式自体は、何か特別な力を与えるものではなく、単に神様が選んだ指導者を公に認めるものです。

https://www.gotquestions.org/ordination.html

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