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エペソ4:1~16

4 主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、 すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。 

多くの宗派があり、それぞれが主張することがある。教会の中でも考えの違いがある。ある人は良く考えず昔ながらの伝統にしがみつく。ある人は聖書を日々吟味して真理を導きだそうとする。ある人はただ流れに任せている。人は様々だが、神は唯一。すべてにおいて主権を持っている。どんな状況であっても、どんな弱さを抱えている人でも、神はすべてのものを通して働かれる。そして、キリスト者全員の内に聖霊が宿っているので内部から突き動かしてくださる。その導きに身を委ねられるか?

7 しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。 そこで、 「高い所に昇るとき、捕らわれ人を連れて行き、 人々に賜物を分け与えられた」 と言われています。 「昇った」というのですから、低い所、地上に降りておられたのではないでしょうか。 この降りて来られた方が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも更に高く昇られたのです。

「高い所に昇るとき、捕らわれ人を連れて行き、 人々に賜物を分け与えられた」は詩編68を引用している。旧約で神が宿っていた契約の箱が先頭を進み、敵に打ち勝ったあかつきに、バシャン山に上り契約の箱を永住させ、神はそこから地を支配する。バシャン山に上る際に打ち勝った敵を捕虜として引き連れて、勝利を広く知らせる。また、神の支配の恩恵をイスラエルの民は約束の地に住むことによって受ける。

同じようにキリストは罪と死、悪魔と悪霊に打ち勝ち、天の御座に付くことによって支配する。「捕らわれ人」は打ち勝った相手(罪と死、悪魔と悪霊)。天に上ることによってキリストは聖霊をキリスト者に与え、神との直接対話、聖霊による聖書の理解、聖化のプロセスが可能になった。これらの恩恵は「わたしたち一人一人に」与えられていて、教会組織や一定の聖職者から受ける必要はない。「キリストの賜物」である。

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エペソ3:14~21

17 どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、 信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。

キリスト者を強めるのは聖霊。この聖霊がキリスト者の内に宿り、愛に根ざし、愛に立つものとしてくださる。

18 また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、 人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。

たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。

1コリント13:2

信仰問答の知識を身に着けても、多くの書物を読んで何でも答えられるようになっても、愛がないなら無に等しい。この愛を与えてくださるのは聖霊なので、聖霊に満たされる環境作りが必要。みことばを明らかにしてくださるのが聖霊なので、日々聖書を読み、思いを巡らし、祈ることによって環境が構築される。

20 わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、 教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

聖霊に満たされることによって神の愛を示すことができ、神を愛し、隣人を愛することがより誠実に実行できるようになる。神を愛することによって神のみこころを知ること、神が望むことを行う意欲が掻き立てられる。「わたしたちが求めたり、思ったりすることすべて」は自分の思いでなく、神の思いへと変わっていく。神はこの求めることに対して、私達が思い浮かべるより「はるかに超えてかなえる」ことができる。

神の求めることはキリスト者としての成長、霊と真の礼拝、世界に向けた宣教。これらが教会により実行されていくことが求められている。

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エペソ3:1~13

3 初めに手短に書いたように、秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました。
5 この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や“霊”によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。 すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。

あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。

創世記22:18

アブラハムに約束されたことが、キリストの十字架によって果たされた。イスラエルの民は神の律法を守ることに自信を持ちすぎて、預言者が語ったキリストのことには耳を傾けなかった。

彼ら(イスラエル)の背きによって、救いが異邦人に及び、イスラエルにねたみを起こさせた。

ローマ11:11

結果として異邦人にも福音が伝わったのだが、神の計画は「一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者」をつくることだった。

9 すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるのかを、すべての人々に説き明かしています。 こうして、いろいろの働きをする神の知恵は、今や教会によって、天上の支配や権威に知らされるようになったのですが、これは、神がわたしたちの主キリスト・イエスによって実現された永遠の計画に沿うものです。
「解き明かす」= photoizo = 明るみにする、悟るようにする、光を当てる

すべての人々に対して福音を伝えるには、その人達がわかるように解き明かす必要がある。福音に光を当て、誰でも気づくようにする。福音について理解しにくい部分を明るみにして、分かるように丁寧に説明する。聖霊の働きかけの流れに乗せ、悟るようにする。一方的に伝えるのではなく、相手が理解する形で伝えるのが重要。

この福音を伝える役割は教会に与えられている。以前は福音は「天井の支配や権威」にさえも知らされていなかったが、教会の働きによって明らかになった。それほど大きく重い責任が教会に与えられている。最も、これは神が「実現された永遠の計画に沿うもの」なので、人が定めた教会の方向性や形はこれを凌駕することはできない。

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エペソ2:11~22

12 また、そのころは、キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました。 しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。

私達は異邦人として、神を知ることも、キリストと関わることも、神の民の属すこともなかった。全く無関係の人たちで、罪によって滅びるしかなかった。しかし、イエスが全人類の罪のために十字架にて罪の罰を受けたことによって、異邦人である私達も神と関係を持つことができた。隣人と接するとき、この前提を忘れてはならない。信仰や宗教を盾に他人を排除するのではなく、イエスがしたように、その人の立場や言葉を理解する時間を取る必要がある。

14 実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、 規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、 十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。

イスラエルに課せられた規制や規律は廃棄された。安息日や十一献金、十戒もイエスを基準に考えなければならない。まずイエスが示した2つに限る。

『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 これが最も重要な第一の掟である。 第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』 

マタイ22:37‭-‬39

不必要なルールを作って人を縛り付けるのはキリストの求めることではない。「祈る時、このような言葉を使わなければならない」「礼拝奉仕をする時、事前に完璧に準備をして、礼拝中は完璧な動きをしなければならない」「奉仕するのであれば車が故障しても、雪の中を歩いてでも参加すべき」「聖書の朗読はクセをなくして、NHKアナウンサーのようにすべき」 これらはキリストの教えが基準になっているだろうか?

18 それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。

キリスト者は神に直接対話でき、神に近づく事ができる。聖書を読んで、聖霊の助けによって理解することができる。神学校に行く必要もないし、牧師・長老だけに頼る必要もない。

さて、わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか。 この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。 だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。

ヘブライ4:14‭-‬16
19 従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、 使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、 キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。 キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。

キリスト者は皆「神の家族」。地上においては日本人、アメリカ人、中国人、韓国人ではあっても、キリスト者は「聖なる民に属する者」。従って、意見や話を聞く際に、その人の背景や人種で差別するのではなく、意見そのものをしっかりと理解して受け止める必要がある。

この「神の家族」は「使徒や預言者」が神について伝えてきたこと(今は聖書にまとまっている)を土台にしているが、要石はイエスであることを忘れてはならない。イエスの教えを理解し、イエスに従うことによって、「神の家族」が一つになることができる。その内に聖霊が働き、成長と共に福音を述べ伝える原動力になる。

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エペソ2:1~10

1 さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。3 わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。

私達は生まれながら善い人間として生まれてこない。誰も小さな子供にいたずらや嘘をつくことを教える必要ないのと同じように、自然体のワタシたちは「肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動」する。自然体として神のことは意識せず、他人を思っての行動も自分の立場や見られ方を気にしながら行動する。

(Total Depravity = 全的堕落)
ちなみに、全的堕落を受け入れているのはカルヴァン主義だけではなく、アルミニウス主義も受け入れている。

4 しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、5 罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです――

私達は生まれながら「死んでいる」状態でいた。自分のためだけに生き、自分を守るための行動しかしていなかった。そもそも、生まれた時からこんな状態なので、私達を裁くのはフェアではないのではないか?確かに、罪はアダムから受け継がれているから(ローマ5:12)私達もその影響を受けている。しかし同箇所に、「すべての人が罪を犯した」とある。生まれながらの状態が原因かもしれないが、それでも罪を犯すことに代わりはない。そんな状態だからこそ、「哀れみ豊か」な神は私達を愛してくださり、イエス・キリストと共に「生きる」状態へと変えて下さった。

6 キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。7 こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとされたのです。

「生きる」状態にするだけでなく、「天の王座に着かせてくださった」。地上でどのような立場であろうと、どんなに人に虐げられようと、拒絶されようと、私達はキリストの隣に席が用意されている。神による私達の価値はそれほど大きく、私達もその立場に自信を持つことができる。人の目を気にし、人に認めてもらう必要は全く無い。キリストによって、私達は神に認められた者なのだから。これが神が与える「限りなく豊かな恵み」。

8 事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。
9 行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。

「愛して下さり」「共に生かし」「共に復活させ」「神の賜物」 すべて神が成したこと。私達は何も誇ることはできない。いくら信仰問答の知識を詰め込んでも、正しい答えを言うことができても、神が救いを与えなければその人は救われていない。逆に、神が救いを与えればその人は変えられる。知識や正しい答えが最初は備わっていなくても、その人のモチベーションや生き方に現れている。教会として洗礼を授ける、教会員として受け入れる、という場面において、知識や答え重視ではなく、その人を良く知り、その人がどのような生き方をしようとしているかがメインの判断ポイントとなるべき。

(Irresistible Grace = 負荷抵抗的恩恵)

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エペソ1:15-23

17 どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、

知恵を授けるのは主。 主の口は知識と英知を与える。

箴言 2:6

聖書を読む、祈り聖霊に頼る。人が書いた書物には限界があるが、神が聖書を通して与える知恵と掲示はいくら学んでも尽きることはない。

18 心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。

キリスト者が与えられている希望、受け継ぐ栄光に輝いているもの。これを悟ったときに神を賛美するのは当たり前のこと。しかしそこで留まっているだけではキリストの弟子とは言えない。伝えていくことによって本当のキリスト者である地の塩、世の光となる。

あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。 あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。 また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。

マタイによる福音書 5:13‭-‬1
22 神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。
23 教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。

教会の頭はキリストであり、牧師や長老や執事ではない。もちろん、教会の中には役割はあるが、すべての教会員はキリストを頭として教会を立てあげる責務がある。上に立つものは群れを牧し、世話をする(1ペテロ5:2)。これに従う教会員はリーダーの教えや生き方や指示が正しいか判断し、必要であれば指摘する(1テモテ5:19-20)。皆キリストの下にある者として、力関係の上下でなく役割の違いを理解して教会を立てあげたい。

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エペソ1:1-14

4 天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。
5 イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。

神はキリスト者を天地創造の前に「お定めになった」(=proorizo=前もって印を付けておく)。人に何と言われようと、「神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになった」(ローマ8:30)。神が決めること、成すことに対して誰も何も言うことも、手出しをすることは出来ない。キリスト者の自信溢れる生き方の基盤はここにある。

(TULIPのU=Unconditional Election 無条件的選び)

13 あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。
14 この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。

福音を聞いて信じる。それだけで救われる。

口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。

ローマ10:9

信仰問答を完璧に理解する必要もなければ、一定の呪文のような言葉を唱える必要もない。イエスが主であると宣言し、イエスが死から復活したと信じる。それだけで救われる。それだけで約束の聖霊が与えられる。
聖霊が宿ることによって、キリスト者は最後まで信仰を保つことができ、天の御国に入ることができる。天で神の栄光をたたえることになる。

(TULIPのP=Perseverance of the Sants 聖徒の堅忍)