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ピリピ3:10~14

Discipleship Journal Reading Planに沿ってデーボションを勧め、思ったこと、感じたことを書いてみた。

'わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、 何とかして死者の中からの復活に達したいのです。 わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。 ' フィリピの信徒への手紙 3:10-12

「キリストとその復活の力とを知り」

キリストは創造主であり、全ての被造物はキリストによって創られた(ヨハネ1:3)。それほど力を持っている方が、人としてこの世に来てくださり、多くの奇跡を起こした。時には病を治し、死者も復活させた。創造主が被造物と共に歩んだことを考えると、どれだけキリストはへりくだったのだろうか(ピリピ2)。どれだけ私たちを愛していただろうか(ヨハネ3:16)。さらに全世代・全世界の罪の罰を十字架で背負い、さらに父なる神に見放される孤独を味わった(マタイ27:46)。蘇りを通して死に打ち勝つ力を見せつけ(1コリント15:54~55)、後に悪魔を葬る権利を握っている(黙示録20:14)。

「その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら」

キリストは罪を侵すことはなかったが、全世代・全世界の罪の罰を十字架で背負った。律法における「罪の報酬」(=死)(ローマ6:23)を成就し、キリスト者は自分の罪の罰を受ける必要はなくなった。それでもキリスト者が罪を侵してしまうのはこの世の弱い肉体に生きているから。そんな状態でも罪との戦いは要求されている。悪魔の企みを理解するために気を貼る(1ペテロ5:8)。罪からの逃げ道を見つけ出し、全力で逃げる(1コリント10:13)。罪を侵すような要素は捨て去る(マタイ5:29)。罪に入り込む隙間がないほど聖霊で満たされる(エペソ5:18)。

「 何とかして死者の中からの復活に達したいのです」

キリスト者はキリストを信じて受け入れた時点で聖霊によって証印が押され、天国と永遠の命を相続するまで失うことは無い(エペソ1:13~14)。だが信じた時点で完璧なキリスト者ではなく、常に聖霊によって変えられている(ピリピ1:6)。命を授けるキリストの声を聞けるように、聖書を学び、祈り、聖霊で満たされなければならない(ヨハネ10:27~30)。常に自分を吟味し、キリストを求めているか問いかけなければならない(2コリント13:5)。学んだことを行動に移しているかも一つのテスト(2ペテロ1:10)。

努力をする最も大きな理由は「キリスト・イエスに捕らえられているから」。イエスの素晴らしさ、イエスがして下さったことへの感謝、救いを保障してくれる聖霊に突き動かされて、キリスト者は「既にそれを得た」と思わず、「既に完全な者」と思わず、「何とかしてとらえようと務める」。「礼拝していればそれで良い」ではない。「すでに一度学んでいるからもう学ぶ必要はない」とも言えない。キリストという高みに向かっていくことこそ、キリスト者の生きる目的。

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