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ピリピ2:19~30

Discipleship Journal Reading Planに沿ってデーボションを勧め、思ったこと、感じたことを書いてみた。

ところでわたしは、エパフロディトをそちらに帰さねばならないと考えています。彼はわたしの兄弟、協力者、戦友であり、また、あなたがたの使者として、わたしの窮乏のとき奉仕者となってくれましたが、 しきりにあなたがた一同と会いたがっており、自分の病気があなたがたに知られたことを心苦しく思っているからです。 実際、彼はひん死の重病にかかりましたが、神は彼を憐れんでくださいました。彼だけでなく、わたしをも憐れんで、悲しみを重ねずに済むようにしてくださいました。 そういうわけで、大急ぎで彼を送ります。あなたがたは再会を喜ぶでしょうし、わたしも悲しみが和らぐでしょう。 だから、主に結ばれている者として大いに歓迎してください。そして、彼のような人々を敬いなさい。 わたしに奉仕することであなたがたのできない分を果たそうと、彼はキリストの業に命をかけ、死ぬほどの目に遭ったのです。 フィリピの信徒への手紙 2:25‭-‬30 新共同訳

エパフロディトは誰だ?ピリピ教会がパウロの世話をするためにローマに送った人。また、パウロからの感謝の手紙をピリピ教会に持ち帰った人。そしてピリピ教会から献金を任されるほどの人だったことから、教会の中で信頼された存在(もしくはリーダー)だった可能性が高い。パウロといたときに「瀕死の重病」にかかったが、奇跡的に回復した。また、聖書においてはピリピだけに登場する。

「主に結ばれている者として大いに歓迎してください。」エパフロディトは教会のビジョンと神学的方針を定める牧師や長老でなければ、教会内の動きを管理する執事でもなかった。(長老や執事であった可能性があるが、パウロを助けに行った時点で教会内の働きはできなくなっている)しかし、ピリピがある慣れ親しんだマケドニアの地を離れ、遠く離れた都会であるローマに行き、何もできないパウロの身の回りの世話をした。長老や執事のように教会全体に見られる舞台で、教会にとっては直接的な働きではないが、イエスが教えたように「これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。」エパフロディトのしたことは「大いに歓迎」するに値する働きだ。教会の礼拝奉仕をするよりも、教会に通えない弱い立場の人たちに奉仕することが「大いに歓迎」されるべき。そしてそのような人々を「敬い」、キリストの「隣人を愛する」教えを実行する者としてその人達から学びたい。

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