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オネシモと教会戒規

「パウロはオネシモがビクビクせず生きられるように、ピレモンから損害に対する赦しと奴隷からの開放が必要だった。」果たしてそうなのか?パウロはオネシモの罪に対して追求していたのだろうか?ピレモンはオネシモの罪に対しての扱いをどう理解していたのだろうか?罪を厳しく扱う視点から、この箇所は教会戒規と関係あるのか?教会戒規はどうあるべきなのか?

こんなことを考えてみた。

パウロとオネシモとピレモン

まず、パウロがどのような心境でピレモンに依頼しているか考えたい。パウロはどのような依頼をピレモンにし、どのような考え方や方法で依頼したのだろうか?それはオネシモに対する思いとどうつながっているのだろうか?

8ですから、あなたがなすべきことを、私はキリストにあって、全く遠慮せずに命じることもできるのですが、9むしろ愛のゆえに懇願します。

パウロは使徒として、ピレモンに正しいことをするように命令できる権限があった。力関係ではパウロは上で、遠慮せずピレモンに「こうしなさい」と命令することができた。「オネシモの罪をしっかり取り上げ、適切に処理し、罰を与え、悔い改めをする機会を得たあとに開放しなさい。」このような指示を出すことができたが、しなかった。命令ではなく、愛のゆえに懇願している。では、この愛は誰に向けたものなのか?もちろん、ピレモンへの思いは4節を見れば明らかで、ピレモンを愛しているから命令でなく懇願しているとも考えられる。

10獄中で生んだわが子001オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。
12そのオネシモをあなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。

また別の見方として、パウロはオネシモを愛していたから懇願したとも考えられる。パウロはオネシモを「我が子」と呼んでいるぐらい大事な存在だということがわかる。また「彼は私のこころそのもの」と言えるほど、オネシモはパウロの思いと教えを受け継いでいた。それほどパウロはオネシモに対して時間をかけて弟子訓練し、パウロの愛が注がれたことがわかる。よって、「愛のゆえに懇願している」はオネシモに向けた愛を込めて、ピレモンに是非とも叶えてほしい依頼をしていることになる。

14しかし、あなたの同意なしには何も行いたくありませんでした。それは、あなたの親切が強いられたものではなく、自発的なものとなるためです。

先程確認しているが、パウロは、ピレモンの立場を尊重し、自発的に行動することを願った。パウロに強いられ、ある規定にのっとって行動するようにして欲しくはなかった。パウロがオネシモを愛したように、ピレモンにもオネシモを愛してほしかった。その愛をもってオネシモと接し、オネシモに対する社会的立場を回復してもらいたかった。

15オネシモがしばらくの間あなたから離されたのは、おそらく、あなたが永久に彼を取り戻すためであったのでしょう。16もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、愛する兄弟としてです。特に私にとって愛する兄弟ですが、あなたにとっては、肉においても主にあっても、なおのことそうではありませんか。

オネシモがピレモンを逃れた結果、オネシモはパウロと出会って変えられた。パウロの教えを受け、キリスト者として行動するようになった。変えられたのはオネシモだけではなかった。ピレモンも神によって変えられている。奴隷であるオネシモを失った結果、ピレモンの心にあった奴隷と主人の格差、上から目線で見下す行動、命令口調での語り方、を見直すきっかけとなった。

28ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男と女もありません。あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つだからです。 ガラテヤ3:28

オネシモ(奴隷)もピレモン(自由人)も、キリスト・イエスにあって一つである。どちらも罪人で、イエスの十字架によって贖われた。オネシモがキリスト者になった(10節)ことによって、イエスにあってピレモンと同じ兄弟となった。キリスト者が共有する永遠の命を永久に分かち合う事ができるようになった。その兄弟を愛するようにパウロはピレモンに懇願している。

17ですから、あなたが私を仲間の者だと思うなら、私を迎えるようにオネシモを迎えてください。18もし彼があなたに何か損害を与えたか、負債を負っているなら、その請求は私にしてください。

もしオネシモでなくパウロがピレモンを訪れたら、ピレモンは大いに喜び、もてなしただろう。パウロを扱うかのようにオネシモを扱うことが求められていた。損害を被ったとしても、イエスによって兄弟とされた存在として扱い、過去の罪を蒸し返すようなことをしない。イエスは悔い改める人の罪を追求しただろうか?姦淫の罪を犯した女性を赦しただけでなく、人々の裁きをも止めた。

7しかし、彼らが問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい。」
10イエスは身を起こして、彼女に言われた。「女の人よ、彼らはどこにいますか。だれもあなたにさばきを下さなかったのですか。」11彼女は言った。「はい、主よ。だれも。」イエスは言われた。「わたしもあなたにさばきを下さない。行きなさい。これからは、決して罪を犯してはなりません。」 ヨハネ8:7,10〜11

またパウロはオネシモに、ピレモンが被った負債を支払うことを命じていない。逆にパウロ自信がオネシモの負債を負うので、請求はオネシモに行くのではなく、パウロに行くことになっている。まさにイエスが私達の罪の負債を無効にしてくださったのと同じことをパウロは身を持って示している。

13背きのうちにあり、また肉の割礼がなく、死んだ者であったあなたがたを、神はキリストとともに生かしてくださいました。私たちのすべての背きを赦し、14私たちに不利な、様々な規定で私たちを責め立てている債務証書を無効にし、それを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。 コロサイ2:13〜14

パウロは、イエスが私達を愛するようにオネシモを愛していた。オネシモは主人であるピレモンを逃れ損害を与えてしまったが、イエスによってその罪が赦された。それを証拠に、オネシモのパウロに対する献身的な姿勢や行動から、彼が悔い改めたクリスチャン生活を送っていることが分かる。まさに新たに作り変えられた存在。(2コリント5:17) また、パウロは罪の追求をピレモンに求めていない。オネシモの罪を掘り返し、働いて負債を返すようなことは求めていない。ただピレモンの心が変えられ、オネシモを兄弟のように扱うように求めている。オネシモはすでに罪を悔い改め、全く違う存在とされたのだから、改めて過去の罪を思い起こす必要はなかった。もしピレモンがそれでも損害を赦せないのであればパウロが全て負うと言っている。オネシモはビクビク生きるどころか、キリスト者として、パウロの助け人として、すでに胸を張って生きることができていた。

教会戒規との関係について

さて、この箇所は教会戒規と関係があるのか?まず、この手紙は特定の人物が書いて、特定の人物に関して、特定の人物に宛てた手紙である。教会に送られた手紙でもなければ、教会に対しての指示もない。ましてや教会戒規のあり方や、その心や思想のことは全く触れていない。この箇所から教会戒規の適用をするのは非常に困難であるし、メインのテーマである「キリストの赦し」と「キリスト者の兄弟愛」から大きくずれてしまう。教会戒規は、罪に陥った人を教会として引き戻すための愛のプロセスであり、最終的に悔い改めない人に対して、教会の純潔を守るための厳格な対処を求めるものである。(教会戒規についてはこちらで詳しく取り上げている) しかし、オネシモがパウロと出会ってすでに悔い改めていることから、このプロセスの適用は不必要かつ不適切であり、この箇所から教会戒規を見出すのは無理がある。

逆にこの手紙では、パウロのキリストのような振る舞いや、ピレモンに対する願いを、キリスト者全員に当てはまる事として学ぶ事ができる。キリストは私達の罪を贖ってくださり、十字架でしてくださったことは「終了的」な効果を発揮している。私達の罪は十字架につけられたので、その負債を負う必要はまったくない。(コロサイ2:14) ビクビクしなが生きなくて良いのは、ある人に赦されたとか、組織によって「良し」とされたからではない。キリストが十字架に罪を貼り付け、その罪は「終了」しているからである。オネシモの罪も、私達の罪も、もはや過去の出来事であって、十字架と共に死んだ罪を墓から掘り出すことに意味を成さない。

また、赦された者に対する扱いも、ピレモンへの依頼から読み取れる。その人をキリストのように受け入れ、兄弟として扱う。罪の罰として「陪餐停止」を執行し、キリスト者の交わりから外すのではなく、キリストが負債をすでに負って下さったことを理解し、共に感謝する兄弟として聖餐を分かち合う。キリスト者は皆罪人なのだから、牧師や長老、教団のリーダーであっても、誰も石を投げて裁きを下すことはできない。

12ですから、あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着なさい。13互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。14そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全です。 コロサイ3:12〜14

このキリストの愛があるからこそ、教会は完全な形でキリストのことばを分かち合い、教え合い、忠告しあい、共に神に賛美を捧げることができる。これが本来の教会の姿である。

16キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。 コロサイ3:16

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