十一献金について

「十一献金は当たり前」「十一献金は教会の基本である」このような言葉を教会で聞くことがある。献金袋の項目にも十一献金が第一に書かれていて、その項目だけに月が書かれている。要は、毎月必ず捧げるべきだと推奨されているからだ。多くの人はこれを深く考えずに十一献金に献金しているが、果たしてそれで良いのか?十一献金とは何なのか?何故当たり前だと思うのか?これは本当に聖書が新約の教会に命じていることなのか?こんなことをを考えてみた。

教会戒規って何だろう?

「レビ人の祭司は裁く立場にあり、それは現代の警察・司法と一致する。また、教会においては神の前にも問われることがあり、これは教会戒規である。」果たして、教会戒規は裁きなのだろうか?教会戒規はどのように行うべきだろうか?戒規にかけられた人はどう扱うべきなのだろうか?こんなことを考えてみた。

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交わりって何だろう?

最近「交わり」についてこのような定義を聞いたことがある。「交わりとは、神の民が神とつながりを持つこと。それは礼拝でしか実感し体験することができない。」果たして「交わり」は神とつながりを持つことだけなのか?実感し体験するのは礼拝でしかないのか?この定義は本当に聖書が言っていることなのか?こんなことを考えてみた。

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教会って何だろう?

先日、使途の働き3章からメッセージをきいた。説教の冒頭でペテロとヨハネがいつものように神殿に行き、ソロモンの回廊で野外礼拝を行ったと。また、これが新約の教会における初の野外礼拝だったという内容だった。もちろん、説教の内容とポイントはここから大きく軌道修正したのだが、冒頭のズレがずっと頭から離れなかった。そこで考えた。初代教会は神殿だけで礼拝したのか?現代の教会において教会という建物で集まるのが唯一の正しい形なのか?

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なぜキイエスを信じるべきなのか?

1:10 またこう言われました。「主よ。あなたははじめに地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。
11 これらのものは滅びます。しかし、あなたはいつまでもながらえられます。すべてのものは、衣のようにすり切れます。 14 御使いはみな、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになる人々に仕えるために遣わされているのではありませんか。

へブル1:6~14

へブル人への手紙の著者は一章で、イエスが天使より勝っていることを綴っています。天使たちはイエスにひれ伏し、仕える者たちとされました。(6節) その一つの理由は、イエスが天と地を創造した方だからです。創世記で見られるように、創造された世界は「とても良い」物でした。しかし、罪のせいで地は呪われ、滅びるものとなってしまいました。それでもイエスはいつまでもこの世を治める者とされています。(11節) この世はいずれ無くなり新しい天と地が創られますが、イエスは今も今後も治める方として神の「右の座に着いて」います。(13節) この世と天使たちを治めているイエスは、イエスの救いを信じた人々に天使を仕わします。(14節) イエスは罪の代価を払って下さっただけでなく、救われた後も私たちを保って下さっています。それほどまでイエスは私たちを愛して下さり、同じ相続人として尊厳を与えて下さいます。

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生きることはキリスト

2:14 すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。15 それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代のただ中にあって傷のない神の子どもとなり、16 いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として輝くためです。

ピリピ人への手紙2章14-16節

パウロは、ピリピ教会宛ての手紙の中で、イエス・キリストがへりくだった事を書いています。イエスは神でありながら、その身分を捨て、人間となってこの世に来てくださいました。さらに、十字架での死にまで従いました。(2:6-8)だからこそ私たちは「自分の救いを達成する」ために務める事を進められています。(2:12)これは、救いを証明するための務めではなく、救いを完成させるために「前に身を伸ばし・・・目標に向かって走る」という意味です。(3:13-14)その一貫として、「すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい」と勧めています。(2:14)これは「ぶつぶつ言わずに」とも訳せます。つまり、やるべき事を誠実に、正しい態度を持って行うべきです。この世では報酬を受け取るために良い行いをする人がほとんどですが、聖書による良い行いをする動機は、イエスがして下さったことに感謝していることです。このような生き方を通して、私たちは「世の光として輝く」のです。(2:16)

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本当に満たされるには

5 私の敵をよそにあなたは私の前に食卓を整え頭に香油を注いでくださいます。私の杯はあふれています。6 まことに私のいのちの日の限りいつくしみと恵みが私を追って来るでしょう。私はいつまでも主の家に住まいます。

詩篇23:5-6

ダビデは、神を自身の羊飼いとして信頼していました。死の影の谷を歩むことがあっても、主がともに歩んでくださることを信じていました。敵は常に近くにいましたが、その敵は彼に何もすることができませんでした。逆に、神はダビデに食卓を用意し、香油を注ぎました。(5節) この「注ぐ」という言葉は「太らせる、満足させる」という意味もあります。それほどダビデは満たされており、祝福が溢れ出ていました。しかし、重要な点は、ダビデはこの祝福が何処から来ていかを生涯忘れなかったことです。その証拠に、いつまでも主の家に住むことを宣言しています。(6節) 「一つのことを私は主に願った。それを私は求めている。私のいのちの日の限り主の家に住むことを。主の麗しさに目を注ぎその宮で思いを巡らすために。」(詩篇27:4) 神を求め、神のことに思いを巡らすことがダビデを満たしていました。それゆえ、ダビデは神の「心にかなった者」だとされたのです。(使徒13:22)

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苦しみの中で仕える

1 キリストは肉において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉において苦しみを受けた人は、罪との関わりを断っているのです。2 それは、あなたがたが地上での残された時を、もはや人間の欲望にではなく、神のみこころに生きるようになるためです。3 あなたがたは異邦人たちがしたいと思っていることを行い、好色、欲望、泥酔、遊興、宴会騒ぎ、律法に反する偶像礼拝などにふけりましたが、それは過ぎ去った時で十分です。10 それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。 11語るのであれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕するのであれば、神が備えてくださる力によって、ふさわしく奉仕しなさい。すべてにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。この方に栄光と力が世々限りなくありますように。アーメン。

1ペテロ4:1-3, 10-11

ペテロは3章の後半で、キリストは私たちの罪の為に苦しみを受け、私たちを神に導いて下さったと書いています。その流れて、4章で私たちに罪と戦うことを促しています。過去の私たちは欲望のために生き、神を全く考えない生活をしていました。同じように、未信者も今なお放蕩に走っており、私たちがそうしないのを不思議に思っています。(4節) 私たちは、彼らに中傷され、自分自身の欲望に誘惑され、苦しみます。

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