本当に満たされるには

5 私の敵をよそにあなたは私の前に食卓を整え頭に香油を注いでくださいます。私の杯はあふれています。6 まことに私のいのちの日の限りいつくしみと恵みが私を追って来るでしょう。私はいつまでも主の家に住まいます。

詩篇23:5-6

ダビデは、神を自身の羊飼いとして信頼していました。死の影の谷を歩むことがあっても、主がともに歩んでくださることを信じていました。敵は常に近くにいましたが、その敵は彼に何もすることができませんでした。逆に、神はダビデに食卓を用意し、香油を注ぎました。(5節) この「注ぐ」という言葉は「太らせる、満足させる」という意味もあります。それほどダビデは満たされており、祝福が溢れ出ていました。しかし、重要な点は、ダビデはこの祝福が何処から来ていかを生涯忘れなかったことです。その証拠に、いつまでも主の家に住むことを宣言しています。(6節) 「一つのことを私は主に願った。それを私は求めている。私のいのちの日の限り主の家に住むことを。主の麗しさに目を注ぎその宮で思いを巡らすために。」(詩篇27:4) 神を求め、神のことに思いを巡らすことがダビデを満たしていました。それゆえ、ダビデは神の「心にかなった者」だとされたのです。(使徒13:22)

私たちの周りには多くの敵がいるでしょう。仕事で足を引っ張る者や不正を推進する者。日曜日に仕事を強いる者や家庭を顧みないで仕事に没頭する者。しかし、これらの敵は神よりも劣っています。私たちはこのような敵を恐れる必要はありません。ダビデのように、羊飼いである神に信頼し、神と共に歩めば本当の意味で満足を得ることができます。私たちは何に満足を得ようとしているでしょうか?詩篇では富や地位のことは書かれていません。ダビデは王として富と地位を得ましたが、彼の本当の願いは「主の麗しさに目を注ぎ、その宮で思いを巡らす」ことでした。神がどれほど素晴らしいか、どれほど私たちの必要を満たすことができるかを想像し、私たちがどんな困難にあっても神はそれを超越していることを理解することです。これができれば、私たちは神が共にいれば十分だということが分かります。神ご自身が私たちを満たします。そして、その恵みが私たちから溢れ出て隣人をも祝福します。これこそが、イエスが命じた「主を愛し、隣人を愛する」ことではないでしょうか。(マルコ12:30~31)

  1. 多くの敵がいるにも関わらず、神はどのようにダビデを満たしましたか?
  2. ダビデは、神からの祝福はどのようなものだと理解していましたか?
  3. 私たちは周りの「敵」とどのように戦いますか?神はどのように助けて下さいますか?
  4. 私たちは何に満足を得ようとしていますか?それは本当に私たちを満たすことができますか?
  5. 私たちが満たされることによって、どのように隣人を祝福することができますか?

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