苦しみの中で仕える

1 キリストは肉において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉において苦しみを受けた人は、罪との関わりを断っているのです。2 それは、あなたがたが地上での残された時を、もはや人間の欲望にではなく、神のみこころに生きるようになるためです。3 あなたがたは異邦人たちがしたいと思っていることを行い、好色、欲望、泥酔、遊興、宴会騒ぎ、律法に反する偶像礼拝などにふけりましたが、それは過ぎ去った時で十分です。10 それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。 11語るのであれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕するのであれば、神が備えてくださる力によって、ふさわしく奉仕しなさい。すべてにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。この方に栄光と力が世々限りなくありますように。アーメン。

1ペテロ4:1-3, 10-11

ペテロは3章の後半で、キリストは私たちの罪の為に苦しみを受け、私たちを神に導いて下さったと書いています。その流れて、4章で私たちに罪と戦うことを促しています。過去の私たちは欲望のために生き、神を全く考えない生活をしていました。同じように、未信者も今なお放蕩に走っており、私たちがそうしないのを不思議に思っています。(4節) 私たちは、彼らに中傷され、自分自身の欲望に誘惑され、苦しみます。

そんな中、祈るために心を整え、身を慎む(7節) ように促されています。これは、警戒心や平常心を持つという意味もあります。また、罪を覆うために信者どうし互いに愛し合い(8節)、互いをもてなし(9節)、神から受けた賜物を用いて仕え合う(10節)ように進められています。これをすることによって苦しみを受けても乗り越え、神のみこころに生きることができます。

キリストが罪によって苦しみを受けたように、私たちも罪と戦うべきです。それは時に、この世の価値観と食い違い、中傷されたり不思議に思われたりします。毎週日曜日に、何故遊びに行かず教会に行くのか?誰も見ていない職場で、何故責任をもって仕事をするのか?浮気が認められつつある世の中で何故しないのか?それは、私たちは罪との関わりを断っているからです。自分の欲のために生きるのではなく、神のみこころに生きています。ですが、一人で罪と戦うのは簡単なことではありません。だからこそ、互いに愛し、励まし合うことをしなければなりません。ただ集まって食事をし、世間話をするだけでなく、しっかりとした意図をもって神のメッセージを思いめぐらしながら交わりを持つ必要があります。

ディスカッション

1:(解説) イエスは罪に対してどのような心構えでしたか?私たちはどのような心構えであるべきですか?
2:(解説) 私たちはどのような賜物を持っていますか?どのように互いに仕え合うことができますか?
3:(適用) あなたの周りでは、聖書に従ったどのような行動や価値観に疑問を持たれますか?それをどのように説明しますか?
4:(適用) 聖書によれば、理想的な人間関係や交わりは、どのような形であるべきですか?今参加している交わりとどう違いますか?

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