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信じるだけで、神の子どもになれるのは都合が良すぎますか?

 

ローマ4:16〜17

16 そのようなわけで、世界の相続人となることは、信仰によるのです。それは、恵みによるためであり、こうして約束がすべての子孫に、すなわち、律法を持っている人々だけでなく、アブラハムの信仰にならう人々にも保証されるためなのです。「わたしは、あなたをあらゆる国の人々の父とした」と書いてあるとおりに、アブラハムは私たちすべての者の父なのです。

17 このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。

前回は、全ての人に罪があること、また神の義を満たすことができない事を話し合いました。では、私たちはどのように神に義と認められるのでしょう?また、どのように神の子どもになるのでしょう?

16説 そのようなわけで

まず、この箇所の背景を理解しましょう。今日の箇所はアブラハムがどのように神に認められたかが説明されています。イスラエルの民にとってアブラハムは始祖です。アブラハムは神に選ばれ、その証として割礼を受けるように命じられました。じきに、イスラエルの民はアブラハムに倣って割礼を受けるようになり、その割礼と律法を守るによって神の子どもとされるのだと思いました。神の子どもということは、義とみなされたと思っていたのです。しかし…

3説 「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義とみなされた」

実はアブラハムは割礼を受けたからでなく、神を信じたから義とみなされたのです。割礼は、あくまで神の子どもとなった証だったのです。

では、アブラハムは何を信じたのでしょうか?神は、アブラハムが世界の相続人となることを約束していました。それはアブラハムに子孫を与え、その子孫が様々な国民となることです。アブラハムは神の約束を信じました。その信仰は、彼の置かれた状況下でも弱まりませんでした。

19説 アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることを認めても、その信仰は弱まりませんでした。
20説 彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず・・・
21説 神には約束されたことを成就する力があることを固く信じました。
22説 だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。

アブラハムは100歳であるにも関わらず、子孫が与えられることを信じていました。さらに、神は約束を守ることができることを信じていました。神を信じることによって、アブラハムは義とみなされたのです。

さて、イスラエルの民にとってアブラハムは始祖であることをお話ししました。それは、イスラエルの民でない限り、律法を守っていない限り、割礼を受けていないかぎり、義と認められないと思われていました。ですがそうではありません。

16説 それは、恵みによるためであり、こうして約束がすべての子孫に・・・アブラハムの信仰にならう人々にも保証されるためなのです。

アブラハムが信仰を持っていたように、私たちも信仰によって約束が保証されます。その約束はアブラハムが何か良いことをしたからでなく、神から一方的に与えられました。神の恵みによってです。同じように、私たちにも約束が神から一方的に与えられます。それは、アブラハムと同様、信仰によって保証されます―確実に与えられるのです。

アブラハムは子孫が与えられることについて神を信じていました。では、私たちは何を信じれば良いのでしょうか?

24説 私たちの主イエスを死者の中からよみがえらさた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。
25説 主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。

私たちには支払えない罪の代価がありました。それを、イエス・キリストは十字架にかかって死なれたことで、代価が支払われました。私たちの行いでなく、イエスが成したことです。それを信じることと、イエスが死からよみがえった事を信じることによって、わたしたちは約束を受けることができます。その約束とは、神に義と認められることです。

これは、都合が良すぎる話でなく、神ご自身が示したことなのです。

17説 このことは、彼(アブラハム)が信じた神、すなわち死者(イエス)を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。

この「無いもの」とは義のことです。私たちには義がありません。ですが、信仰によって神は義が「有るもののように」します。これを「信仰義認」と言います。

私たちは、神に認められるために何かを頑張っていますか?たくさん祈っても、教会に行くだけでも、良いことをたくさんしても義と認められません。神の前で義と認められるのは、信仰のみです。ただ神を信じることです。

また私たちは、自分の力や能力を信じていますか?自分の力や能力には限界があります。神が全てを成すことができることに信頼しましょう。

信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
へブル11:1