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福音の聞いた事のない日本人が神の怒りを受けるのは可哀想ですか?

質問 福音の聞いた事のない日本人が神の怒りを受けるのは可哀想ですか?

ポイント 神の怒りはユダヤ人も異邦人も全ての人に下る

聖書箇所 ローマ1:18〜19

前回私たちはローマ1章から、福音はユダヤ人をはじめギリシャ人(すなわち、私たち)にも与えられたことを読みました。ここで疑問に思うのは、もしこの福音を聞いたことが無い人がいたらどうなるのでしょうか?神がこの人を裁くのは正しいことなのでしょうか?このテーマを考えていきたいと思います。

18 というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。19 それゆえ、神について知られることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです。

18説「というのは、不義をもって真理をはばんでいる」

今日の箇所は「というのは」で始まりますが、これは何を指しているのでしょうか?これは、17説「義人は信仰によって生きる」を指しています。私たちが罪に対して何もできない中で、キリストは私たちの為に代価を支払ってくださいました。聖霊が私たちに「信仰」を与えてくださいます。その結果、私たちは「義人」として生きることができるのです。

この反対の「不義」とは、私たちの悪い行いだけではありません。「神を信じないこと」が不義です。これが神についての「真理」をはばんでいるのです。では、聖霊が信仰を与えるのなら、与えられなかった人たちは無罪なのでしょうか?

19説「それゆえ、神について知られることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです。」

神は人にご自身の存在を示しています。この、「神が明らかにされた」の部分はギリシャ語では「神が彼らの内に明かされた」という意味です。つまり、神はご自身の存在を人の内に明らかにされています。人は詳細が分からなくても神が存在することを分かっています。ドン・リチャードソンという人が書いた「Eternity in their Hearts (人の心に永遠を与えた)」という本の中に、マチュピチュの人たちの事が書かれています。そこの王はキリスト教と全くの無縁でしたが、全てを創造し、治めている唯一の神の存在を信じていました。マチュピチュを訪れて福音を伝えた宣教師は驚いたことでしょう。まさに、伝道者の書3:11に書いてある通りです:「神は…人の心に永遠を与えられた」のです。

20説「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠のちからと神性は、世界の創造されたときからこのかた、被造物によってしられ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」

大自然を見れば神が存在すると考えられませんか?テレビ番組で宇宙の誕生が取り上げられますが、結局謎だらけです。いかに優れた天文学者でもこの宇宙より大きい存在を認めざるを得ません。また、生命の誕生は本当に不思議です。一つの細胞が分裂を繰り返して、たまたま頭と腕と足になるのでしょうか?これを定めた造り主がいるのではないでしょうか?また、自然における奇跡的風景が世界にあります。私が最も圧倒されたのはグランドキャニオンでした。この吸い込まれる風景を見たとき私は神は存在すると確信しました。

しかし、神を信じない代わりに人はこの世の物を拝むようになりました。

25説「それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えたからです。」

仏教では人の形をした石像を拝みます。神道では鏡や天皇を拝みます。宗教を信じない人は仕事や物を拝みます。神が存在することは明らかなのに、神を信じない。それ自体が罪なのです。

18節に戻ります・・・「不敬虔と不正」とは何でしょう?

29〜31説「彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。」

私たちはこのいずれかに当てはまるのではないでしょうか?私の働いている証券会社では「情け知らずの者」はたくさんいます。私も含めてです。間違えを犯す人がいれば責め立てます。能力が無い人がいれば陰口をします。もちろん、これらは「不敬虔と不正」であり「罪」ですが、罪は私たちの行いでけではありません。私たちから出てくる罪は、私たちの生まれ持った罪の性質によるものです。私たちがアジア人であるから黒髪であるのと同じように、罪の性質を生まれ持っているから罪を犯すのです。行いはある程度コントロールできますが、この生まれ持った罪の性質は「原罪」と言って、私たちにはどうすることもできないのです。

32説「彼らは、そのようなことを行えば死罪に当たるという神の定めを知っていながら、それを行っているだけでなく、それを行う者に心から同意しているのです。」

このような人たちに、18説の「神の怒りが天から啓示されている」のです。

私たちは罪は何だか分かっていて、罪には罰則があるのを理解しています。神は正しい方ですから、神に反する「罪」に対して怒って当然です。これは、ユダヤ人もギリシャ人も日本人も関係なく、全ての人に「罪」があり、結果的に神を信じない・信頼しないから「神の怒り」があるのです。

では、どうすれば神の怒りから逃れられるのでしょうか?

5:1「信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」

イエス・キリストは神であり、人でもあります。なので、イエスのみが私たちと神の間を取り持つことができます。そのイエスが十字架にかかって、私たちの罪の代価を支払って下さいました。だからこそ、私たちはこれを信じてイエスを主と告白すれば、神は私たちの「罪」を見ずにイエスの「あがない・罪の支払い」を見ます。これが「義と認め」られるということです。

クリスチャンでない方へ:神を信じませんか?イエスを主と告白しませんか?そうすれば、罪を赦され、神の怒りから逃れることができます。 そして、義人として生きる喜びを体験できます。

クリスチャンの方へ:罪と日々戦っていますか?失敗することもありますが、神に立ち返りつつ「義人」として歩むように励ましあいましょう。

エペソ5:8「あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。」