舌を制する

ヤコブ3:9~12

(9)私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。(10)賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません。(11)泉が甘い水と苦い水を同じ穴からわき上がらせるというようなことがあるでしょうか。(12)私の兄弟たち。いちじくの木がオリーブの実をならせたり、ぶどうの木がいちじくの実をならせたりするようなことは、できることでしょうか。塩水が甘い水を出すこともできないことです。

ヤコブ3章では、舌を制することについて書かれています。それは2説にあるように、「からだ全体もりっぱに制御できる完全な人」になるために舌を制御するのです。5説には、「舌は小さな器官ですが、大きなことを言って誇るのです」とあります。私たちの語る言葉は大きな影響を及ぼします。それは、良いことに使えば問題ないのですが、制御していなければ大きなダメージを与えます。6説には、「舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲヘナの火によって焼かれます」とあります。特に、福音を伝えるときに気をつけるべきです。間違ったことを語れば相手を永遠の滅びに向かわせてしまいます。日ごろから御言葉を心に蓄えて、舌を制御することを心がけましょう。

今日の箇所は舌を制御することの延長ですが、相反する例を使いながら私たちに呼びかけています。

(9)私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。

私たちは教会に行き、神を賛美します。力いっぱい賛美するでしょう。心をこめて賛美するでしょう。また、感動の涙を流して賛美するかもしれません。礼拝が終わり、私たちはいつも通りなれている友達とランチするでしょう。その場でこんな会話をするかもしれません。「今日の礼拝に新しい家族が来ていたね。」「そうそう、あの家族、子供がうるさかったね。親は何してるんだろう?」もしくは、「今日の賛美チーム、熱心に歌っているんだけど、間違いだらけだったよね。」 まず、本当に神を賛美しているならば周りの状況は関係ないはずです。子供が騒ごうが、賛美チームが間違えようが、神を賛美することに集中するべきです。また、イエスは宗教学者たちにこう語っています。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。『わたしはあわれみは好むが、いけにえはこのまない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。」(マタイ9:12~13) 子供がいる家族はサポートが必要かもしれません。子供の面倒を見る手を差し伸べてはいかがでしょう?賛美チームは、何か事情があってあまり練習できていなかったのかもしれません。彼らのために祈ってみるのはどうでしょう?舌をもって神をほめたたえるならば、悪口を言うのではなく、良い行いによって神への感謝の気持ちを表しましょう。

(10)賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません。(11)泉が甘い水と苦い水を同じ穴からわき上がらせるというようなことがあるでしょうか。

先ほど9説で、「神にかたどって造られた人をのろいます」とありました。私たち人間は神のかたちをもって創造されました。罪を犯す前の人間は完璧な存在でした。神はその人間を祝福し、すべての生き物を支配する存在としました。また地上の全てのものを人間に与えました。神はそれをみて「非常に良かった」と言いました。その後人間は罪を犯して完璧な存在でなくなり、神の恵み無しでは良い行いをすることさえもできなくなりました。ですが、神のかたちに造られたことには変わりありません。その神のかたちに造られた人間をのろうということは、その創造主をものろっていることになります。「泉が甘い水と苦い水を同じ穴からわき上がらせ」ないように、私たちも神を賛美するならば他人をのろうべきではありません。イエスは黙示録3:16でこう言っています、「あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。」賛美とのろいを両立するということは、本当はその賛美さえも偽りではないでしょうか?私たちは神を主としていますか?そうならば、賛美や建設的な言葉のみが私たちからあふれ出るはずでしょう。

(12)私の兄弟たち。いちじくの木がオリーブの実をならせたり、ぶどうの木がいちじくの実をならせたりするようなことは、できることでしょうか。塩水が甘い水を出すこともできないことです。

良い言葉と悪い言葉が同じ口から出て来る状況はありえないとヤコブ書は訴えています。もちろん、私たちは罪人ですから間違いは犯しますが、2コリント5:17ではこうも書いてあります、「だれもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」堕落していた私たちは、罪のせいで神にかなう良い行いをすることができませんでした。ですが、神に恵みを与えられ、イエスを主とした時点で私たちは聖なるものとされています。そのおかげで私たちは感謝の表れとして良い行いをすることができます。私たちは新しく造りかえられた者ですので、舌を制御しましょう。

最後に、私たちの救いと良い行いは自分から来るものではなく、神から来ることであることを覚えましょう。エペソ2:8~9にはこう書いてあります、「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるものではありません。だれも誇ることのないためです。」