社会的地位の高い人に対して、どのような態度をとりますか?

社会的地位の高い人に対して、どのような態度をとりますか?エルサレムに初代教会ができた時代は差別の時代でした。社会的地位の高い人、すなわち祭司(パリサイ人やサドカイ人)や大金を宮に寄付するものが尊ばれ、貧しい人、病気のある人、または孤児ややもめが厄介扱いされていました。この社会のなごりで、初代教会も差別をするようになってしまいました。ヤコブはこういった状況を問題とし、このヤコブの手紙を初代教会に送りました。

1説では、「私の兄弟たち」つまりクリスチャンに語っています。「あなたがたは私達の栄光のイエス・キリストを信じる信仰を持っているのですから、人をえこひいきしてはいけません。」すなわち、クリスチャンであるならば信仰を持ち、その信仰の現れとして良い行いをするようになるべきです。その一環として、えこひいきをしてはいけないと言っています。

あなたがたの会堂に金の指輪をはめ、りっぱな服装をした人が入って来、またみすぼらしい服装をした貧しい人も入って来たとします。あなたがたが、りっぱな服装をした人に目を留めて、『あなたはこちらの良い席におすわりなさい』と言い、貧しい人には、『あなたは、そこで立っていなさい。でなければ、私の足もとにすわりなさい』と言うとすれば、あなたがたは、自分たちの間で差別を設け、悪い考え方で人をさばく者になったのではありませんか。

2〜4説

想像してみてください。あなた方の今行っている教会でホームレスの人が来たとしましょう。その人は汚い服を着ていて、何日もお風呂に入っていないので強烈な匂いがします。その人に対してどのような対応をするでしょうか?ほとんどの人がその人を避けるか、他の人に対応してもらうことを望むでしょう。ですが、スーツとネクタイをしたサラリーマンが教会に来れば、誰でも問題なく対応できるでしょう。もう少し分かりにくい例を言いますと、毎週私たちは教会で普段接する人がいます。その特定の人たちには私たちのほぼすべてを分かち合い、ともに祈りあいます。それは大いに結構ですが、普段接していない人たちはどうでしょう?あなたの教会では普段こういった交わりがないものがいるでしょうか?この人たちをおろそかにすることも、えこひいきとは言えないでしょうか?今度教会にいるときにこのことを一度考えてみることをお勧めします。

「よく聞きなさい。愛する兄弟たち。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、神を愛する者に約束されている御国を相続する者とされたではありませんか。」

5説

この世の富がある人たちは、その富のことを常に考えがちです。お金がある人はいくらあっても足りません。電化製品のある人は新しい電化製品を常に欲しがります。最新のファッションを身に着けている人は新しい服を買わないとファッショントレンドに遅れてしまいます。ですが、貧しい人はそもそもお金があまりなく、電化製品を買うこともできず、服はあるもので何とかします。ですが、こういう人は自分の無力さを実感することができ、神により頼むという強い信仰を持つことができます。もちろん、富があることは必ずしも悪いことではありません。問うべきことは、あなたの心はどこにあるかです。「自分の宝は、天にたくわえなさい。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」マタイ6:20〜21

それなのに、あなたがたはまずしい人を軽蔑したのです。あなたがたをしいたげているのは富んだ人たちではありませんか。また、あなたがたを裁判所に引いて行くのも彼らではありませんか。あなたあたがその名で呼ばれている尊い御名をけがすのも彼らではありませんか。

6〜7説

当時庶民をしいたげている人たちは富んだ人たちでした。税金を集める人たちは必要以上にあつめ、奴隷を雇っていた人たちは悪い待遇を奴隷たちに与え、借金取りは貧しい人たちを裁判にかけました。初代教会で富んだ人たちを特別扱いしたということは、貧しい人は教会でもしいたげられていたということになります。教会はイエス・キリストの花嫁とも言われる存在ですが、この花嫁が差別するということはイエスの御名を汚すことになります。キリストは「ご自身をささげられ」、「教会をきよめて聖なるものと」し、「しみや、しわや、そのようなものの何一つない、清く傷のないものと」しました(エペソ5)。教会は聖なるものなので、差別のような汚れたことは一切あるべきではないでしょうか?

もし、ほんとうにあなたがたが、聖書に従って、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という最高の律法を守るなら、あなたがたの行いはりっぱです。しかし、もし人をえこひいきするなら、あなたがたは罪を犯しており、律法によって違反者として責められます。

8〜9説

最後に、私達は聖書でもっとも重要で最高の律法を思い起こします。それは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」ということです。隣人を愛するということは、えこひいきも差別もしません。もちろん、これはクリスチャンだから義務的にこの律法に従うということではなく、イエスが私達を救って下さったことを感謝し、神を愛する現れとして隣人をも愛します。ヤコブ2:18にあるように、「行いによって、信仰を…」行動で表しましょう。

また、まだクリスチャンでない方々に:教会には様々な人たちがいます。良い人もいれば悪い人もいます。それは全員が罪人であるからです。ですが、神は常に良い神で、私達の益を常に思っています。ですから神はイエス・キリストをこの世に送って下さり、先ほど言った通りにご自身を犠牲にしてまで私達を愛してくださいました。あるクリスチャンは罪を犯してあなたをがっかりさせると思いますが、神は絶対あなたをがっかりさせません。是非とも、神を深く知るための関係を持つことをおすすめします。質問があればぜひ聞いて下さい。